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大介は、今にも泣きそうな顔をするひなたに緩く微笑んだ。
「いいんだ。確かに知った時はショックだったけど、受け入れるしかないからな。俺自身、そんなに子供が欲しいと思ったことはないし、跡取りなら兄貴のところで十分だよ。今後はうちも、親族経営にこだわらなくなると思うし」
それまで静かに聞いていた宮原は、首を捻った。
「なあ。それって、大介が慰謝料払う必要あるのか?」
「……あの時は、私も悪かったの。うちの両親は私のことを思って……」
里佳子が、ぼそぼそと話す。
当時、その事実を知った里佳子は相当にショックを受けた。里佳子の子供好きは本当で、子供のいる幸せな家庭を夢見ていた彼女は一瞬にして夢を打ち砕かれ、落ち込んで部屋に閉じこもるようになった。
そんな娘を心配した両親は理由を聞き出して、これまで賛成し楽しみにしていた結婚に一転、異を唱えるようになる。
もともと親同士が親しくてそこから派生した結婚話でもあったので、当然親同士の話し合いに波及した。
初めは穏やかに、『夫婦で治療法を探してがんばってみてはどうか』などと話していたが、 娘の泣き腫らした目を見た母親は、『娘は騙されたようなものだ、被害者だ』と訴えだし、大介の母も『それはあまりに心がない、息子も被害者だ』と応戦した。
そして次第に苛烈する話し合いに嫌気がさした大介が、『婚約は破棄する、慰謝料も払う』と言ったところで決着が着く。当然のことながら両家の間には大きな遺恨が残り、付き合いもなくなったそうだ。
「君とのことは、真剣に結婚も考えていたくらいには好きだった。でも、あの騒動の時、君は何も言わなかった。君が婚約解消と慰謝料の受け取りに同意したと聞いた時に、悪いが気持ちはなくなった」
「っ、……」
里佳子の目から涙が零れたその時、インターフォンが鳴った。
大介が席を立ち、入口のオートロックを解錠する。
「お父さんが来られたよ」
里佳子はガタッと席を立つと、大介に駆け寄った。
「私っ、本当に大介が好きなのっ、本当にっ……」
「……ああ。分かってる、ありがとう。でも、ごめん」
「うっ、……っ、っ、」
部屋のインターフォンが鳴り、大介が里佳子の背に手を添えながら玄関に向かった。
ドアが開いたのだろう、ざあざあと雨の音が聞こえた。それに混じって父親の詫びるような声が小さく聞こえてきたので、確執があるのは母親の方だけかもしれない。
里佳子は、おそらく今日というこの日に賭けてきた。
思えば台風だというのにヒラヒラしたピンクのワンピースを着ていたのも、精一杯おしゃれをしていたのだ。
本当なら大介と2人だけで話したかっただろうに、そわそわと落ち着きがなかったのも必死だったからに違いない。
彼女は、必死だった。
大介と、別れたくなくて。
もう一度、自分の方を向いてもらいたくて。
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