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サラダにごま油のドレッシングをまぜていると、陽一が帰ってきた。
ワイシャツのままダイニングテーブルを覗き込む。
麻婆豆腐、チョレギサラダ、茄子の浅漬けが今晩の献立だ。
「うまそー」
丸い銀縁めがねの奥の目が三日月のように細まる。
部屋着に着替えてきた陽一は、発泡酒を手にテーブルに着くと、「あ、沙耶香も飲む?」
腰を上げかけた。
「うん、一杯だけ」
そうだよね、と陽一は冷蔵庫から二本目の発泡酒を取り出し、ぷしゅっと音を立て「はいどーぞ」と、沙耶香の前に置いた。
結婚から十年経っても陽一は優しい。
四つ年上でまもなく四十路だ。
中年太りでお腹もぽっこりして、髪も薄くなってきた。
趣味はテレビと食べることとお菓子づくり。
穏やかで喧嘩をしたこともないし、意見を押し付けられたこともない。
はたから見れば理想の夫なのだろうけど、沙耶香はなぜか時々イラッとして、そんな自分も嫌だった。
発泡酒が苦く感じた。
「そういえば、藤原さん元気だったの?」
「律子? あいかわらずよ彼女は」
「そっか。今もフリーなの?」
「そうみたい。でもそれだけじゃ食べてけないから、バイト掛け持ちして、お金貯まったら海外とか行ってるって」
「たくましいね」
「ほんと。でも私は怖くって真似できないなあ」
「僕もだよ。無難がいちばん」
「そうよね……」
とはいったものの、黙々と麻婆豆腐をれんげで掬う陽一が、しっくりこなかった。
沙耶香が洗い物をしていると
「この女優アレだよね」
テレビを見ながら陽一がつぶやいた。リビングのローテーブルの前で胡座をかいて、手元は洗濯物をたたんでいる。
「アレって……?」
「ほら、不倫で離婚して再婚した……旦那誰だっけ?」
ああ、と沙耶香が俳優の名前をいう。
「それだ! すっきりしたー」
子どもがいない二人の話題は自ずとテレビが多くなる。
ベッドに入ってからも陽一は、さっきのテレビの話をしていた。
話し下手の沙耶香には、陽一のおしゃべりが楽しくもあったが、夫が女の友達みたいでもやもやしていた。
たわいもない話に上の空で相槌をうちながら、右手をさりげなく陽一の左手に重ねる。
たまにはその気になって欲しかった。
体温を感じるほど身体を寄せてみたが、ほどなく、すーすーと寝息が聞こえてきた。
ちいさくため息を漏らし、右手を離して陽一に背中を向ける。
もう私に興味ないのかしら。枕を抱いてそっと瞼を閉じた。
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