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窓の外の月も西に傾き、沈みかけている。 結局彼が私の前に姿を現すことは、二度となかった。 いつかは会えるという淡い期待がいつしか執着になり、毎日あの公園に通った。 姿を現すことが無くても、私は諦めることを考えなかった、考えようとしなかった。 意味もなく皮膚を削るのはやめた。 そうしないと、彼に二度と会えないことが確定してしまうような気がしたから。 彼に会えないまますることもなく人生を閉じる私に、なってしまうと思ったから。 そんなことを考えるようになった、自分に驚いた。 満月の日になら、会えるかもしれない。 そんな淡い期待を胸に、一か月後にもあの公園に向かった。 時計の針が一周しても、終ぞ会うことはなかった。 その日陽が昇ってから、珍しく私は外出した。 街をぶらぶら歩いてみようと思い立ったのだ。 帰り道、人身事故で電車が遅れた。 駅のアナウンスが響いた時、腕の傷が疼いたような気がした。 それから数年後、彼は社会から「犯罪者」というフィルターを通して見られていたことを知った。 彼のいない世界に、私の心に留まるものなど無かった。 暗く淀んだ世界に生きていた私の前にふと現れた、優しい幻のような彼。 その一筋の光さえも失ったのだから、生きる意味なんてあるはずもないのだと思った。 それなのに。 「でもね、誰かを追いかけて死ぬのだけは絶対に駄目だよ。それだけは、してはいけない。わかった?」 その言葉が反響し、私を苦しめた。 生きる意味などない私と、生きてほしいと言った彼。 彼がなぜあの夜にそんなことを口に出したのかは分からないけれど、その言葉は私に生きる義務とかなしみを生んだ。 私は生きているのだ。 もういない彼のために。 たった数時間を共に過ごしただけの、名前も知らない人のために。 「ずるいよ」 窓の外に浮かぶ月をなぞりながら、私は腕に目を落とした。 「なんであんなことを言っておきながら、私には生きろというの?」 皮膚を削った、血が止めどなく溢れた。 血と同時に、涙が零れて落ちていく。 気持ちよかった、その痛みが。 あの夜以来の懐かしい感覚だった。 痛みの中に、彼がいると思った。 痛みを感じている時だけ、彼を感じていられた。 彼が感じた痛みを、私も感じなければならないと思った。
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