*8 覆される条件に翻弄される使者

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*8 覆される条件に翻弄される使者

 通された客間は、フリトが日頃籍を置いている陽寿族の長の屋敷よりもかなり豪華なしつらえだ。  元々干支国(かんしこく)の各地を放浪していた過去がある彼なので、こんなきらびやかな場所に身を置くことに慣れていない。  目の前の細工の見事な卓にはお茶と茶菓子が出されているが、うかつに手に取って良いものかもわからなかった。  それでなくとも、いまは呑気に出された茶を飲んでいる気分にはれなかった。  卓を挟んで向かい合う、褐色の肌の逞しい体つきの若いこの屋敷の主人であるこの男に、いましがた今日ここへ来た要件を簡潔に述べたからだ。  要件の内容はここにいるはずの村の娘――サチナの解放を望むものであり、そして同時に、村との月桂油の取引を解消してもらいたいというものだった。 「サチナ嬢を解放する代わりに、取引を止める、と?」 「はい。そちらが先日提示された条件に従うということです」 「村の財源の大部分を失うことになるかもしれないのに?」  椅子の背に大きく仰け反るように深く腰掛けている相手の男・ゴウホウは、フリトが先程告げた言葉に微塵も動じたような気配はなく、むしろこちらの態度を楽しむかのようににこやかに微笑んでさえいる。  ゴウホウは若い商人だがやり手で、商談を有利に運ぶための手段も選ばず、そして口も立つとグドから聞かされている。  真正面からサチナの開放を願い出てどこまで了承してもらえるかは未知数だったが、彼女を囚われたまま黙っているわけにはいかないため、村の意向を示すためにもこうして村の使いとしてフリトがゴウホウを訪ねているのだ。  フリトは事前に、得意の闇の魔術で今回の交渉に最適と思われる日取りを占ってみていたのだが、何度やっても結果がこちらにとって芳しくないものばかり出てしまっていた。  自分の占いが必ずしも的中するわけでないことは自身でもわかっているし、芳しくないと思われる内容までは汲み取れない。  サチナ解放の条件の交渉に難があるだとか、その内容がすんなりと吞み込みにくいものであるとか、そのようなことが考えられていたが、交渉に出向かないという選択肢はフリトになかった。  それは長であり、サチナの兄であるグドの意思でもあるからだ。  ゴウホウの言葉に、フリトは怯むことなく視線を上げて答える。 「長は取引による利益よりも、サチナ嬢の身の安全を優先すると言っている。彼女は彼の大切な肉親であり、人命は月桂油の利益とは天秤にかけるものではないと考えているからだ」 「まるで俺が彼女を脅して捕えたような言い草だな」  そうしたようなものだろう……と、フリトはゴウホウをにらみつけたい衝動をこらえ、ひとつ息を吐いて言葉を続ける。 「以前よりそちらからの過剰な接待にサチナ嬢は困惑していたと聞いております」 「取引相手を手厚くもてなすのは当店のやり方なんだよ。田舎の方には刺激が強すぎるのかもしれないが」 「お心遣いは痛み入りますが、それを差し引いてもそちらのやり口はいささか強引ではないかと思われますが」 「そうかな? より良い商談を成立させるにはきれいごとは通用しないと俺は思っている。法にさえ触れなければ、多少強引と思われる手に出ることもまれにあるだろう」 「では、今回の場合は稀であるというのですね?」 「そうそちらが捉えられるのであればそうだろうね。こちらとしてはただもてなしの一環に過ぎないんだけれど」  フリトの棘のある言い方にもゴウホウはくすくすと笑って交わすばかりで、一向にサチナを留め置いたことへの謝罪や、それどころか彼女を解放しようとする態度すら見えない。  こうすることでフリトの苛立つ感情をあおって冷静な判断力を失わせる目的があるであることは容易に推測できるので、たやすく手のひらの上で転がされてたまるかとなんとか踏み止まっているが、このままではらちが明かないのも確かだ。  このままでは明日になってもサチナの解放を叶えることは難しいかもしれない……そんな焦りを覚え始めていたフリトは、ほんの束の間口をつぐんで考えこむ。 「さて、どうするのかな、祐筆殿。貴殿がここに来られた目的はお嬢様の解放じゃなかったのかな?」  豪奢な細工を施された重厚な木製の椅子のひじ掛けに頬杖をつきながら、ゴウホウはフリトの出方を楽しむような、感情を煽り立てるような言葉を投げかけてくる。  この男にとって、今回の件は商談というよりもサチナという“景品”の賭けられた単純な戯れの一つに過ぎないのではないだろうか。フリトはそんな感情を抱き、薄っすらと嫌悪感を覚える。  フリトも過去に国中を彷徨っていたさなかに、自らを商品のように扱って身銭を稼ぐ取引を行ったことはなくはない。しかしそれは己の尊厳が削られていくばかりの屈辱を伴う行為だった。  グドと出会うまで身寄りがなかった彼にとってそうすることは生きていくための最終手段であったので致し方なかったが、今回のサチナの場合はまったく事情が違う。  たしかにサチナが担う月桂油の取引は村にとって大切な財源である。しかしそれがサチナの尊厳を踏みにじるような行為を経てまで行われることではないはずだ。  サチナは月桂油を取り扱う役割は担っていても、月桂油のように取引されるような存在ではないからだ。 「当然です。サチナ嬢は村の大切な娘であり、月桂油を取り扱う勤めも担っています。村のことを思えば、サチナ嬢を無事の解放を望むのは、祐筆役として当然のことですし、それは惣領様の意思でもあります」 「惣領様の意思、ねぇ……。その惣領様とやらは、お嬢様の兄上だろう?」 「そうですが……」  含みのある言い方と視線を向けてくるゴウホウに、フリトは警戒心をあらわにした表情で応じる。  何が言いたい? と、問い返すようにフリトが眉根を寄せていると、ゴウホウは穏やかに微笑みつつも、若干グドらを虚仮(こけ)にしているような態度をにじませながら応じた。 「思いやりある兄上だなぁとは思うけれども……少々妹君に過干渉ではないかな」 「……どういうことです」  たしかに、グドは妹たちの父親役を買って出てきていたせいか、少々干渉が過ぎる点が見受けられなくはない。  しかし、それといまサチナを解放しろと要求することとは別次元の話ではないかとフリトは訴えるようににらみつける。  ゴウホウはその眼差しも込められた思いも承知しているかのように言葉を続ける。 「お嬢様はもう十八で成人も迎えている。村のことを考えて、月桂油の取引の末に相手方に嫁入りを考えることだって十二分にあり得る話であることをお考えでないようだ」 「それは、そちらが強引にサチナ嬢を引き留めているだけだ!!」  体のいい誘拐じみた幽閉を正当化するようなゴウホウの言い分に、フリトは思わず強い口調で言葉を吐いてしまったが、構っている余裕はなかった。  ゴウホウはそれまで苛立っているフリトをおかしそうに眺めていたが、椅子から立ち上がらんばかりの勢いで吠えたてるようにフリトが言葉を吐くと、すっと表情を凍らせて低い声で応えた。 「――いつ、我々がお嬢様を“強引に”引き留めた、といえる? 確たる証拠はあるのか?」 「それは……」  グドが最も危惧していた言葉を返され、フリトは言葉に詰まる。  これまでにゴウホウはサチナに、フリトの言葉を借りるならば、突然近くに来たからと村を訪れたり、毎日のように胸やけのするような内容の手紙を頻繁によこしてきたり、取引の際に食事に執拗に誘ったりすることはあったが、それらは接待の一環だと言われてしまえばそれまでだし、なにより今回の幽閉に直接つながるものとは言いきれない。  サチナがこの屋敷のどこかに留まっていること以外、たしかなことはフリトの手許にはなかった。 「元はと言えばそちらから月桂油を買ってくれと訪ねてこられていて、その価格交渉の条件をこちらは提示しただけで、なにをどうするかはお嬢様が考えて決めることだ。逗留はその一環で、俺はその場を提供したに過ぎない」 「しかし、それが仮に逗留だったとして、今日も一度もサチナ嬢にお目にかかれないのはどういうわけだ」  苦し紛れにフリトがようやく言葉を返しはしてみたものの、ゴウホウはすぐにまた柔和な笑みを浮かべて、「お嬢様は客間で日々商売の勉強をされて、今後の身の振り方をお考えのようだ。お屋敷よりも実際の店舗で見聞きすることは得るものが大きいのかもなぁ」などと笑うのだった。 「じゃあ、今回の件はサチナ嬢が自ら望んだと?」 「俺からは少なくともそう見えるがね」  だから翼をよこさなかったのか、とさらに問おうとしたが、それが彼女の意思だろうと言われてしまえばそれ以上追及するのは難しい。  そんなはずはない、普段のサチナであれば連絡の一つくらいよこすはずだと言い張ったところで、それはあまりに彼女を幼子扱いしている、彼女はもう成人を迎えているのだぞ、と笑われるだけだろう。  もしこのままサチナが解放されないままであれば、村の月桂油の取引は継続されるのであろうか。それも、取引の値はこれまでよりも高くなるという話でもあった。 「このままサチナ嬢がこちらに留め置かれるというのであれば、我々との取引は継続、そしてその値は今までよりも高く――」 「さあ、それはどうかな」 「……なんだと?」  ゴウホウから示された条件を確かめるようにフリトが口にしかけた時、それをゴウホウ本人が制し、これまでにない不敵な笑みを浮かべてこう言い放った。 「そちらは我々が人さらいのような疑いをかけられているようだ。そんな不愉快な目を向けられたままで取引に今後応じられると思うのかい?」 「それでは話が違うではないか!! 取引を継続しないなら、サチナ嬢を――」 「それは彼女に聞かなければわかるまいよ」 「では御本人をここに! サチナ嬢に直接問うてみる」 「生憎お嬢様は湯あみの時間だ。時間がかかるから追って報せをよこすと惣領様に伝えておいてくれ」  この話はここまでにしよう、とゴウホウは立ち上がって一方的に話を切り上げ、傍に控えていた従者を連れて客間を出て行ってしまった。  フリトはゴウホウを呼び止めようと慌てて後を追おうとしたが、別の従者に立ちふさがれて声すらかけられなかった。  行き場のない感情を抱えたままフリトは立ち尽くし、残された豪華な部屋の中で自らの失態を悔やむのだった。
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