第4話 赤点 回避 方法 [検索] ③

1/1
前へ
/14ページ
次へ

第4話 赤点 回避 方法 [検索] ③

 ピピピッと目覚ましが鳴る。布団からぬっと伸びた手が、それを黙らせる。手の主は再び訪れた静寂に満足して、今一度夢の世界へと戻っていった……。 「いや止めてんじゃねーよ。起きろタコ」  ガバッと掛け布団を剥いで、及川は二度寝しようとしていた畑野をたたき起こす。 「ふぇ……うぇぇぇえぇえええええっ!? な、なんで、部長が!? 青木先輩も!」 「約束通り迎えに来たよー」 「お前のお母様が快く招き入れてくださったのでな、遠慮なく起こしに来たというわけだ」  畑野は、及川たちの背後、開いたドアの向こうに自身の母親の姿を認める。 「お母さんっ⁉ なに娘の部屋に見知らぬ男を招き入れてんの⁉」 「母は今、娘にようやく友達ができたと知り感動しているわ」  満面の笑みで、手だけ目元において、よよよと適当な泣きまねをする母親の姿がそこにはあった。 「友達じゃないっ、友達じゃないっ」 「おら、ギャーギャー喚いてないでさっさと行くぞ」  及川は畑野をベッドから引きずり下ろし、無理やり連れだそうとする。畑野はそれに、懸命に抵抗する。 「ほらっ、見てっ、娘が今にも拉致されようとしているよっ! 助けてっ!」 「ごめんね、母は涙で視界が歪んでよく見えない」 「うおおおっ、嘘をつけぇええええっ!」  この場に畑野の味方をするものは、誰一人としていなかった。      ・ 「それじゃあ、娘をどうぞよろしくお願いいたします」 「はい、善処します」  流石にパジャマのままでは問題があるということで、母親の監視のもと畑野を着替えさせ今に至る。畑野は、隙あらば自分の部屋に戻ろうとするので、青木がしっかり捕まえている。 「それほど遅くならないうちに、娘さんは家までお送りしますので」 「いえいえ、年内に返却してくだされば、それで構いませんよー」 「お母さんっ⁉」  たいそう娘思いな母親に見送られ、及川たちは畑野の家を後にした。 「部長、そういや聞いてませんでしたが、今日は勉強をどこでやるんですか? 図書館?」 「いや、何度か大声を出すことになるだろうから図書館はなしだ。俺の家だよ。一年のころから参考書も全部とってあるし、俺の部屋なら三人居たところでまだ大分余裕あるだろ」 「なるほど、部長の家、豪邸ですもんね……というか畑野ちゃん、そろそろ自分で歩いてくれない?」  すでに家を出発したにもかかわらず、畑野は未だに抵抗を続けていた。青木に引きずられるようにして歩いている。 「無理ですってぇ、今すっごい眠いですもん。絶対集中できませんてぇ」 「往生際の悪いやつだな。いい加減に観念しろよ」 「いやぁぁぁ」  教えてもらう分際で、ここまでぐずれるのは才能だろう。半泣きになりながら、畑野はいやいやと喚く。しかし、ふと何かに気が付いたらしい。その表情はニヤニヤとした笑みに変わった。 「ふふふ、良いことを思いつきました。私がここで助けてと叫んだなら、往来の人々はどんな反応をするでしょうか。助けを求める少女とそれを無理やり連れて行こうとする二人の男、どちらの味方をするかは明白ですね。この勝負、私の勝ちです。それでは早速、たすけっ」 「お母様から朝食用に貰ったパンを喰らえ」 「もぐもぐ」  及川はパンを畑野の口にねじこみその奸計を防ぐ。大好物のガーリックフランスを前に、畑野になす術はなかった。 「青木、パンはあとどんくらいある?」 「五本くらい持たせてくれましたからね。一本一本もそこそこでかいですし、しばらくは保つと思いますよ」 「よし、こいつが喰らいつくさないうちに家に到着するぞ」      * * * 「ふへぇ、満腹です。にしてもほんとに豪邸ですね」 「お前、食うスピード速すぎるだろ」  及川邸に到着したのは、丁度畑野が五本目のガーリックフランスを食べ終えた時であった。流石にこのころには眠気も飛んでいて、もう帰って寝たいなどとは喚かなくなっていた。 「いやあ、俺も来るのは久々ですけど、相変わらず広いっすね」 「家がどんなに広くても、俺は基本自分の部屋にいるからな。あまり意味はない」  家の門から玄関まで、約十メートルのアプローチを歩きながら、青木と畑野は巨大な家屋と広大な庭を見て、素直に感嘆する。しかし、そんな彼らの感心に誇らしい様子を見せることもなく、及川の反応は淡白なものであった。それにムッとした畑野が嚙みつく。 「何ですかその反応? 私たち愚民の称賛に価値など無いと? そう言いたいんですか?」 「違う、昔から金目当てで機嫌を取ってくる奴が何人かいるんだよ。それを思い出して、あんまり気分がよくなかっただけだ」 「え、いいいいいい、いや私は、かかかかか、金目当てだなんてそんなななな……」 「お前は金が欲しい癖に、機嫌を取ろうともしないだろ。むしろ清々しいわ。……っと、ほら着いたぞ、入れ」  そんなこんなしているうちに、一行は玄関にたどり着く。及川は、ドアを開けて青木と畑野を招き入れた。 「あ、兄ぃお帰り……あれ? お客さん?」  及川たちが家に入ったタイミングで、一人の少女が玄関前を通りがかった。人見知りの畑野は、サッと及川の後ろに隠れる。 「ぶ、部長? この方は?」 「妹の千尋だ。うちの中等部に通っているんだが、まあ、顔を合わせる機会はないか」 「千尋ちゃん久しぶりー」 「お久しぶりです」  千尋と面識のある青木は、親しげに挨拶を交わす。さて、人見知りな畑野であるが、意外にも彼女の顔には余裕があった。 「中学生ということは年下ですね! ヘイヘイヘーイ」 「え、待って、まさかこのイキリ陰キャみたいなの、兄ぃの彼女じゃないよね?」 「そんなわけがないだろう。悪夢みたいなこと言わないでくれ」 「言いたい放題ですね。泣きますよ」      ・ 「はあー、ここが部長一人の部屋ですか、うちのリビングより広いじゃないですか。分かりました。もう包み隠すことはやめましょう。部長、あなたが妬ましい」 「だからお前、包み隠したことないだろ」  及川はそう言って、だらしなく口を開けている畑野をテーブルに座らせる。そして、参考書をいくつか持ってくると、青木と共にその向かい側に座った。 「ほら、さっさかはじめるぞ、お前は一秒だって時間を無駄にできないんだから」 「ええ、それは承知なんですけどね、私、今まったくやる気でないんですよね。まずいですよ」  そう言って畑野は、頬杖をつきながらパラパラと教科書をめくる。 「お前は一晩寝ると危機感が消失するのか? そういう病なのか?」 「畑野ちゃん、部活動云々以前にさ、次の期末テストでもへたこくと進級も危ないと思うよ。頑張らないと」 「ぐぅ……おっしゃる通り……」  青木の言葉を受けて、畑野は渋々姿勢を戻す。そして、テスト範囲のページをにらむが、いまひとつ勉強に身が入らないらしい。うんうんと唸っている。 「どうした、何が分からないんだ?」 「うーん、言ってしまえば何が分からないのかすら分からないんですよね……」  はぁとため息をついて、テーブルに突っ伏してしまう。そのまま十数秒がたち、及川が「また寝やがったか?」と拳を握った時だった。畑野が、急にがばっと起き上がる。 「というかですね! 私ってば、ほんとに基礎の基礎すら理解が怪しいわけなんですよ。となると、いっこいっこ堅実に勉強したって、ははっ、到底期末テスト当日にゃあ間に合わんのです! ですから、ここはひとつ搦め手的な? テクニカルな勉強法で勝負したいと思うわけですわ! じゃあ、今日は空が青いから青木君! テストで点を取るために、これだけは知っとけってのを教えてくださいどうぞ!」 「恥じゃないかな」  こうして先行きの怪しいまま、この日の勉強会が始まった。      ・ 「三木茂博士によって化石が発見され、約百万年前に絶滅したと考えられていたが、昭和二十年に中国の四川省でその現生が確認された、生きた化石と呼ばれるるヒノキ科の落葉樹の名を答えよ」 「スリジャヤワルダナプラコッテ!」 「よし青木、二週間何して暇つぶす?」 「俺、最近Swit○h買いましたよ。スマ○ラもあります」 「うわああ、見捨てないでくださいぃぃ」  勉強を始めて半日が過ぎた。五分前に勉強した範囲から出した問題を、鮮やかに間違えた畑野に及川は匙をぶん投げる。 「ほかの植物の名前と間違えるならまだしもさ、何でスリランカの首都が出てくるかな」  呆れながら、青木は該当ページを開いた教科書を畑野に差し出す。 「あ……メタセコイアか……いや、なんかこの単語、私的に覚えにくいというか……思い出せない単語があると、脳が勝手にスリジャヤワルダナプラコッテを候補に出してくるというか……」 「メタセコイアに限った話じゃないだろ、お前、今日いまいち集中できてないよな? ちょっと目を離すとすぐに寝ようとしだすし」 「そ、それは……どうも、興味のないものと向き合う昼下がりは、睡魔に襲われがちでして……その……」  段々と声を小さくして、畑野は黙り込む。そして訪れる沈黙が彼女は辛かった。 「……はあ、その、なんだ、まあ奥の手がなくもない……」  沈黙がしばらく続いた頃、及川がゆっくりと口を開いた。いつかの同好会落ち騒動の時と似たセリフであるが、その時よりもずっと苦々しい顔をしている。 「奥の手って何ですか? 今回は金でどうこうできることじゃないと思いますけど」 「それができるんだよ、金でどうこうな」  不思議そうにする青木に、及川は一枚のメモ用紙を差し出した。 「部室のポストに入っていた捏造部からのお手紙だ。『依頼したければここに連絡しろ』だとさ、俺たちみたいな弱小部は良いカモだと思われているらしい」  捏造部に依頼して、畑野の成績を捏造してもらう、及川の言う奥の手とはつまりそういうことである。 捏造部――青木も畑野も、北塔高校の生徒である以上その存在は知っている。ゆえに、このアングラーな部活が、無償で動いてくれるような気前の良い集団でないこともまた分かっていた。 「いや、しかし、結構金を取られるって聞きますよ、連中に依頼すると」 「まあ、今回はせいぜい赤点を回避できる程度に点を上げれば良いだけだからな……噂で聞いた相場だから断言はできないが、二~三万くらいだろう」 「そ、そんなお金の余裕……ない……です……」  畑野のような、バイトもしていない高校生にとって、二万も三万も十分大金であった。その程度ならと易々出せる額では到底ない。 「だろうな、だから金は俺が出してやる」 「……え?」  及川の予想外過ぎる言葉に、畑野は目が点になる。 「俺にとっても決して安い出費じゃないがな。もし部活動停止になったら副会長の奴にどんな嫌味を言われるか分からん。プライドのためと思えば、まあ、良いだろう」  そう言って、及川は青木の手からメモ用紙を取り上げ、指で挟んで宙に揺らす。 「さあ、どうする畑野? お前のテストの話だ、お前が決めろ」  及川はじっと畑野を見つめる。畑野の手がゆっくりと持ち上がる。  ――もし……もしこれに縋ったなら、もう勉強に苦しまなくて良い……勉強なんかしなくても赤点を回避できる……。  持ち上がった手は、及川の手にあるメモ用紙へと伸びていく。  ――お金だって払わなくていい、怠けてたっていい、何にもしなくていい、このメモ用紙を手にするだけで、活動は続けられる、進級だってできる……。  勉強が大の苦手な畑野である。そもそも彼女に、何かを死ぬほど頑張った経験などなかった。いつも楽な方に、楽な方にと生きてきた人生であった。そんな畑野にとって勉強を頑張らなければならない現状はまさに地獄である。その最中の甘い誘惑。彼女にとって、それは、あまりにも抗い難く……。 「……っ!」  ダンッ‼  拳がテーブルを殴りつける。メモ用紙に届く寸前で握られ、振り下ろされた拳だ。  畑野の思わぬ行動に及川と青木が面食らう中、彼女は絞り出すように口を開く。 「それっ…はっ、できませんっ……! なんか、それを選んじゃったら……いよいよ、というかっ……。ボンクラの私ですけどっ、それでも越えちゃいけな一線って、あると、思うんですっ! 死ぬ気で勉強するのでっ! それは、勘弁してくださいっっ‼」  半泣きになりながら、声を震わせてそう言った畑野に、及川と青木は啞然とする。しかし、間もなく二人は顔を見合わせて、軽快に笑った。 「はははっ、見直したぞ畑野、これは余計な提案をした俺が悪かったな! 謝罪しよう」 「オッケー畑野ちゃん、俺たちも全力でサポートするから、一緒に頑張ろうっ」 「っ……はいっ!」  かくて、ようやく畑野は気持ちを入れ替えた。及川も青木もまた彼女の決意に感化され、サポートに一層やる気を出す。  都市伝説研究部の真の勉強会は、この瞬間より始まったのだ。      ・  時刻は午後七時過ぎ、いくら七月とはいえ、そろそろ外も薄暗くなりはじめる時間だ。まがりなりにも畑野は女子である。これ以上遅くなるのもまずいだろうということで、最後に今日一日のまとめのテストを行ったのが先ほど、今はちょうどその採点が終わったところである。 「……いや、うん、その、なんだ、多少はマシになったんじゃないか……?」 「で、ですよね。戦場に生存者一名というか、砂漠地帯に一輪の花が咲いたというか……」 「無理して慰めなくて良いです……ほんと、もう、私は自分が情けない……」  午前中と違い、あれから畑野は本気で勉強した。及川や青木から言い出さない限り休憩を取ろうともせず、集中を切らすこともなく手を動かし続けた。  しかし、まとめのテストの結果といえば、およそその努力に相応しいものではなかった。 「私どんだけ馬鹿なんですかね……頭の良い人に付きっきりで勉強見てもらってんのにこの様ですよ……」  やる気を失ったわけではないが、自信を消失した畑野は項垂れる。そんな畑野に、青木と及川はやや申し訳なさそうに声をかける。 「いや、それなんだけどさ……こればかりは一概に畑野ちゃんだけのせいでもないというか……」 「ああ、今日の一日で確信したんだが、俺たち――特に俺は、人にものを教える才能がクソほどもないらしい」  及川も青木もどちらかと言えば天才肌の人間であった。特に及川は一度でも授業で習えば、後はさほど時間をかけて復習などせずとも、ほぼ完璧に理解し、応用することができた。  いわゆる一を聞いて十を知るタイプである。そんな彼らには、畑野が「なぜそれが理解できないのか」「何につまずいているのか」が分からなかったのだ。 「え、ち、ちょっと待ってくださいよぉ~、私、部長たちだけが頼り何ですけどぉ」  及川たちの頼りない発言に、畑野は狼狽する。及川は気まずそうに頬をかくだけだが、青木はコホンと一度咳払いをして、明るく声を上げた。 「うん、だからね、俺からもひとつ奥の手をだそうと思います」 「奥の手?」  不思議そうに首を傾げる及川と畑野に、青木は笑顔で答える。 「助っ人を呼ぼうかなって」                                (続く)      
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加