第4話 赤点 回避 方法 [検索] ②

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第4話 赤点 回避 方法 [検索] ②

 都伝部が存在する旧部室棟――ではなく、部の増大に伴い建てられた新部室棟。見た目は立派なビルである。  総部員数が百を超える公安部の部室は、その三階と四階のフロアすべてであった。うち、主に執務が行われるのは四階であるが、この日はいつも以上の慌ただしさがそこにはあった。せわしげに動きまわる部員の間を縫うようにして、公安部副部長の直江義行は部長のデスクまでやってくる。 「報告します。一応調べてみましたが前回の中間テストにおいて、我が公安部の中で欠点をとった者は一人もいませんでした」 「そうか、まあ当然だね。とはいえ安心はしたよ、報告ありがとう」  直江の報告を受けて、結城は優しく笑う。 「い、いえ、当然の業務ですので……」  結城に笑顔を向けられ、直江は顔を赤くしながらやや慌てた様子で答える。  直江義行、正義感に熱く、困っている人を放ってはおけない好漢だが些か動じやすい、というのが結城の評価である。  彼女が公安部の中で特に信頼をおく者の一人だ。  結城は、しばし直江の反応を楽しんだ後「さて」と、真面目な顔になる。それに伴い、直江も表情を真剣なものにする。 「今回の期末テスト、これまで以上に皆、赤点を取るまいと必死になることだろう……そして、その必死に付け込もうとする輩もまた、これまで以上に大きく活動するに違いない」 「……捏造部、ですね」  直江の言葉に、結城は頷く。  捏造部、ここ北塔高校にいくつか存在する非公認団体の一つである。公には活動できないアングラーな団体は複数存在しているが、捏造部はその中でもとりわけタチが悪い。金と引き換えに依頼主のテスト結果を改竄し、存在しない好成績を捏造する悪の組織である。定期テストの度にその影がちらつくが、公安部が決定的な証拠を得て、その犯行を摘発できたことは未だなかった。 「これまでと違い、今回は『自分のせいで所属する部が活動できなくなる』という事態が起こりうる。なまじ責任感のある者ほど魔が差してしまうだろう」 「はい、ですから、これまで以上に多くの生徒が捏造部の手を借りようとする可能性があります」 「そうだ。だからこそ、連中のしっぽをつかむ機会も増える。いいかい、これはまたとないチャンスだ。何としても奴らの犯行を白日の下に晒し、捏造部撲滅の一手とするぞ」 「はいっ」  結城の言葉に直江は力強く返事をする。  捏造部という誘惑があるゆえに、心が弱っているだけの本来は善良な生徒でさえ、悪に手を染めてしまうということがある。そんな心の弱さに付け込まれた者ほど、後から強い罪悪感に苛まれる。  時より現れるのだ。背負った十字架に耐え切れず、公安部に己の不正を自白する者が。もちろん公安部は出頭してきた生徒に対し事情聴取を行うが、それが十分に役立ったことはなかった。捏造部の狡猾さと用意周到さゆえに、彼らの包み隠さぬ自供からさえ大した手がかりを得ることはできないのである。結局、公安部にできることは、涙ながらに罪を告白する生徒に対し相応の処分を下すことだけであった。  直江にとって、捏造部の奸智に惑わされ不正を行ってしまった者たちは、間違いなく被害者であった。彼は、そんな被害者をもう出したくはなかった。  直江の正義漢溢れる眼差しに、結城は満足そうに笑う。しかし、ふとあることに思い至りその笑みは疲れたものへと変わった。 「……まあ、うちの教師たちがもう少しまともに成績管理をしてくれるだけで、解決する問題ではあるんだけどね」 「部長、言わないでください、頭が痛くなります」 「私もだよ」  捏造部が捏造できるような、杜撰な成績管理をしている教師陣こそが諸悪の根源なのかもしれない。      ・  さて、公安部のフロアより上、五、六階は報道部のフロアである。五階は大量の印刷機や撮影機材が置かれているだけなので、それらに用がないかぎり主な活動場所は六階だ。そこを目指して、報道部の部長、劉啓一はエレベーターに乗り込む。その顔には、彼には珍しく焦りの色が浮かんでいた。 「まずいことになりましたね……」 『赤点を三教科以上とった生徒が、一人でも所属している部活は、二週間の活度停止処分とする。』  この通達に一番動揺していたのは劉であった。とはいえ別に、彼は勉強ができないわけではない。むしろ、定期考査の度に会長、結城と上位三席争っているような、こと勉学においては極めて優秀な生徒である。  問題というのは彼の率いる報道部にあった。  なにせ、面白いネタのためなら、倫理も道徳もかなぐり捨てて、ハイエナのように人のプライベートを暴き倒すような集団だ。学業ごとき、二の次にしている可能性は十分にある。 「いや、まあいくらなんでも、三つも赤点をとるような人は……さすがにその程度のプライドは持ち合わせて……くれませんかねえ……」  そう祈るようにつぶやいて、げんなりする。劉は、「そんな自尊心持ち合わせてませんよ」と笑顔で答える部員たちの姿を想像し、その光景に違和感をおぼえることができなかった。  六階に到着し、劉は何とか平静を取り繕ってエレベーターを降りる。そして、フロアの真ん中まで歩いくと、大きく二回手をたたいた。 「はい、皆さん、一度作業をやめてください」  報道部の面々は手を止めて、劉の方を見る。劉は、全員の注目が自身に集まったのを確認し、意を決して質問する。 「前回の中間テスト、赤点が三つ以上あった人は手を挙げなさい」  途端に、わらわらと手が挙がった。恥じる様子など欠片もなく、該当者たちは真っ直ぐにその手を伸ばしていた。二年の井口に至っては諸手を挙げている。赤点が六教科以上あったとでも言うのだろうか。  伸びる手は、二十をゆうに超えている。取材や調査で今この場にいない部員もいるので、実際の数はこれよりも多いと考えるのが妥当だろう。  軽くめまいがする劉である。正直心のどこかでは、こうなることを覚悟していたが、実際に目の当たりにするとその衝撃は大きかった。額に手を置いて大きくため息をつく。部員たちは、そんな劉の様子を不思議そうに見つめる。 「どうしたんですか部長、ため息なんてついちゃって? というか、そろそろ手を下してもいいですかね? なんたって私は両手を挙げてますからね、疲労も二倍というわけです」 「はあ……ええどうぞ、皆さん手を下ろして構いませんよ」  井口の言葉を受けて、その調子に若干苛立ちながらも、劉は皆に手を下ろすよう促す。そして、二、三度深呼吸をして己の心を落ち着かせる。 (これはもうダメでしょうね。ほんとうに、もう、馬鹿ばっかりですもん。無理ですよ、無理、無理を超えた何か……)  そこまで考えたころには、劉の顔はいつもの余裕に満ちた笑顔に戻っていた。劉は部員たちに向けてゆっくりと口を開く。 「近々、我々は二週間ほど活動ができなくなります。現状でも可能な取材や調査は、できるだけ今のうちに済ませておくように」  そう、彼はすべてを諦めたのだ。      * * *  翌日の昼休み、都伝部の部室には部員三人が揃っていた。理由は言わずもがなである。 「さて、まずは何から教えてもらえるんですかね? おっと、一つ忠告しときますよ。私、部長たちが想像するよりずっと勉強ができませんからね。あなたたちが勉強を教えようとする相手は、類まれなクソ馬鹿であると弁えておくことです」  畑野は椅子にずかっと座ると、頬杖をつきながらそうのたまう。 「おい、なんでお前そんなふてぶてしいんだ。昨日のしおらしさはどうしたお前」 「え、ふてぶてしいとは心外ですね。私は感謝してるんですよ。なんたって、学年十位以内の常連さんが直々に勉強を教えてくれるんですからね。はは、いやこれはもう勝ったでしょう。余裕でしょうね、何なら学年一位とか目指しちゃいます? なんてね、冗談ですよ、じょーだん、畑野ジョーク。ぬはははは」 「なるほど、畑野ちゃん完全に調子に乗っちゃってますよ部長」 「なんでだ。なんで、まだ一秒も勉強をしてないのにここまで調子に乗れるんだ。頭の中どうなってんだよ」  及川は畑野に心底呆れつつ、鞄の中から一枚の紙を取り出す。 「はあ、まずは数学からはじめるぞ。一旦この小テストを解いてみろ」  目の前に差し出されたテストを見て、畑野は眉間にしわを寄せる。 「え、ちょっと待ってくださいよ。テストするなんて聞いてませんよ私」 「お前の今の学力を測って、どう教えていくかの目安にするんだよ」  小テストの結果から、畑野が何を理解できていないのかを、大まかにでも把握する算段であった。効率の面から考えても、なかなかに良い指導方法であるといえる。  しかし、畑野はこれにやたら難色を示した。 「ええ、ちょっと、勉強時間くださいよ。いきなりテストはあんまりですって」 「いや、畑野ちゃん、これ点を取らなきゃいけない奴じゃないからさ……」 「三十分っ、三十分だけでいいですから!」 「三十分って、昼休み半分つぶれるじゃねえか……ああ、もうわかったよ三十分だけだぞ」  諦める気配のない畑野に観念して及川が折れた。無理にやらせてモチベーションを下げられても困るという彼なりの配慮でもある。 「ありがとうございます! いやあ、なかなか話の分かる人じゃないですか、まあ見ててくださいよ。部長が度肝を抜かすような好成績をたたき出してやりますから」  なぜ畑野に友達ができないのか、少し理解した及川と青木である。畑野は意気揚々と数学の教科書を取り出すと、ペラペラとページをめくる。  勉強を始めて一分ほど経過したころ、畑野はふうと息を吐き、おもむろに口を開く。 「先輩方、ちょっと出ていってくれません?」 「はあ?」  今度はなんだと、及川は眉をひそめる。そんな及川に、畑野はやれやれといった様子で話を続ける。 「いやなんか、近くに人がいると気が散って集中できないタイプなんですよね。分かってもらえますかね、そこらへん?」 「テスト本番だって四方八方に人がいるだろうが」 「それはそれです。もう、いいからさっさと出ていってくださいよ、ほらしっしっ!」  畑野はそう言いながら及川たちを払いのけるように手を振る。間違いなく教えを乞う側の態度では無い。及川は額に青筋を立てながら渋々席を立つ。 「お前、諸々全部終わったらまじで一発殴らせろよ……青木、いくぞ」 「ええ……ほんとに出ていくんですか……」 「じゃあ、また三十分後に! ばいばーい」  なんだかんだで、都伝部の命運は畑野にかかっている。及川と青木は色々腑に落ちないながらも、畑野ファーストで部室を後にした。      ・  三十分後、及川たちは部室棟へ戻ってくる。 「なあ青木、俺、人にもの教えるなんてほとんどしたことないんだが、これやっていけると思うか?」 「ああ、妙に畑野ちゃんに甘いと思ったら、部長も手探りだったんですね……いやあ、どうでしょう。なんたって初めて受け持った生徒が業界屈指の問題児ですから」 「だよな、やっぱあいつは異常なんだよな……」  まだ本格的な指導は始めていないのにかなり疲れた及川である。一先ず今日中に、数学の基礎ぐらいは理解させようと、なんとか気力を奮い起こして部室のドアを開く。 「おい、三十分立ったぞ! テスト……かい……し……」  徐々に声が小さくなる及川を、青木は不思議に思う。 「どうしたんですか? 部長……って、うわあ……」  部室に入り、青木は及川の様子がおかしい理由を悟る。 「……なあ青木、お前には何が見える?」 「畑野ちゃんが、健やかに、昼寝をしています」  そう、畑野は寝ていた。窓から差し込むうららかな日差しを浴びて、気持ち良さそうに昼寝をしていた。教科書を見ると、及川たちが出たときから一ページも進んでいない。つまり畑野は、及川たちが部室を出ていってすぐにその意識をシャットダウンしたということである。 「……叩き起こすぞ」 「え、待ってくださいっ、またバーサーク化するかもしれませんよ⁉」  こぶしを握り締め、畑野のもとまで歩いていく及川を青木は慌てて止める。彼の頭をよぎったのはかつての悲劇、寝起きがすこぶる悪かった畑野の大暴走である。部室の備品がいくつか壊れ、及川たち自身も傷を負ったかなりの惨事であった。 「じゃあ、縄でこいつを椅子に縛り付けてから起こすか」 「縛ってる過程で起き……ませんね。畑野ちゃんはそういう子です」  及川は畑野の鞄から縄を取り出すと、それで畑野の身体を椅子に固定する。案の定、起きる気配すら無かった。 「よし、じゃあ、せえっのっ!」 「あっがぁっ、痛っだあああああ‼」  かなり本気で振り下ろされた及川の拳が、畑野の後頭部を殴りつける。後ろからの打撃に加え、その勢いで額を机に打ち付けた畑野は、二重の大ダメージ受け流石に目が覚めた。 「えっ、えっ、何ですか⁉ 後ろから榴弾ぶち込まれました⁉ というかなんで縛られてんの私⁉」  畑野は起きたばかりで状況が理解できず、涙目で首だけ動かして周囲を確認する。 「おはよう、畑野」 「……あれ、部長? それに青木先輩も、いつの間に……」 「随分気持ちよさそうに寝てたね、畑野ちゃん」  及川たちの様子を見て、徐々に状況……というか自分のやらかしを理解する畑野。 「……ふう、いや思うんですけどね。この温かな光の中、寝ないでいられる人なんているはずないんですよ。ですからこれも、私が悪いかというとそうではなくて、大宇宙の原則に従った結果なのではないでしょうか」 「すごいね、ここまで迅速に開き直る人、見たことない」 「おら、さっさとテストはじめるぞ」 「えー、事情が宇宙ですから、もう十分くらい追加してくださいよ」 「なんだ、寝ぼけたことを言ってるな。もう一回目を覚ましとくか」 「やりますっ! テストッ! やりますっ! だから、まずは縄を解いてくださいっ!」  説明するまでもないとは思うが、小テストの結果は凄惨なものであった。 「お前、数学に関しては中学の知識からあやふやなところがあるじゃねーか」 「面目ないですね。はい」  放課後、昼休みに引き続き畑野の勉強を見ていた及川と青木であったが、その、あまりのできなさ具合に辟易していた。ここまでは分かっているはずという前提を、相当下げたうえで畑野に指導した及川たちであったが、彼女の理解はそれを容易に下回った。 「畑野ちゃん、君はどうやってこの高校に合格したの? とてもじゃないけど入試をパスできる学力を持ち合わせていないよ? 裏口入学?」 「畑野にそんな財力があるわけないだろ。俺の予想だが、おそらくこいつは学校に紛れ込んだ野生の畑野だ。そのままここに住み着いて、いつの間にか自分はこの学校の生徒であると錯覚してしまったんだろう。明日にでも山に返そうか」 「おっと、そこらへんにしておいてもらえますかね先輩方。そろそろぎゃん泣きしますよ、私が」  目に涙を溜めて、ぷるぷると震える畑野を「冗談だ」と慰める。慰めながらも、及川と青木は正直焦っていた。残り二週間で、畑野の学力を赤点の回避が可能なレベルまで持っていけるビジョンが全くわかないのである。なにせ数学だけでこの様だ。英語、生物、その他諸々はもう少しマシかもしれないなどと、そんな思考ができるほど及川たちは楽観的ではなかった。 「はあ、お前これからテストまで安息の瞬間があると思うなよ。いや正直、そこまでしても果たして間に合うかどうか……」 「明日は土曜日だから、朝からずっとテスト勉強ができるね」 「ええー、私、朝弱いんですよね。休日くらい寝かせてほしいんですけど」 「ふざけんな、たたき起こしに行くからな」  意識低い系の畑野を及川が𠮟責する横で、青木は当たり前のように畑野の鞄をあさる。 「部長、畑野ちゃんちの住所、確保しました」  畑野の生徒手帳を開き、住所が書かれたページをパシャっていた。 「ちょっと⁉ 個人情報なんですが⁉」 「うるせえな、悪用はしないから安心しろ」 「じゃあ、明日の朝、八時に迎えに行くからねー」 「うわああ、来んなああ」  大した学力の向上もなく、そもそもいまいち畑野からやる気が感じられないなど、色々と不安要素を残したままこの日の勉強会は終了した。                                (続く)
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