月下美人はおかしな夢を見る

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               此処は三階建てビルの地下一階に居を構えた店、『KAWA's(カワズ)』――カフェだ。  もうとうに開店時間の十時を過ぎてはいるが、静かなこの店内にBGMは流れておらず――また、この正方形のテーブルを挟んで、僕の対面のソファ席に座る彼のほかにお客様は居ないため、店内はとても森閑としている。    窓のないこのカフェの店内は、うっすらとほの暗い。いや、ムードがある、というべきだろうか。――地下にあるために、そもそも窓がない店内の上、お客様が落ち着ける雰囲気とするためにあえて照明は抑えられた蛍光灯の明かりと、各席のテーブル上の天井から吊り下げられた電球の、その薄だいだい色の明かりばかりであるため、全体的な店内の明るさは、せいぜいがおしゃれな居酒屋くらいの明るさだろう。    そして、このカフェ『KAWA's』の店内、出入り口の扉から左手にある角席…壁沿いに一連となって繋がるグレーのソファ席に、スッと背筋をまっすぐに伸ばして座っているこの上品な男性は――真四角のテーブルを挟み、対面に座っている僕の手を、とつぜん()()()と言ってきたのだ。   「…………」   「…………」    ちなみに今、僕の手は放置されている。  まだ何もしてこない、いや、彼が僕の手の何をいったいどうするのかも正直わかっていない。…もしかするなら、もうすでに僕の手を()()()()のかもしれない。  ただし、このホワイトブロンドの金糸のような髪をすべて後ろへと撫で付け、オールバックにしているこの男性の目元は、僕に見えていない。――なぜなら彼のその目元は、頬の上部にいたるまでやや角ばった、黒茶のサングラスに隠れているからだ。   「…………」   「…………」    彼、三十代くらいだろうか、いやもっと若いか、あるいは…――その容姿からは年齢が良くも悪くもはかりきれない、不思議な人だ。…ただ、少なくともかなり落ち着いた雰囲気の、いわゆる大人の男性、というような人である。    肌は象牙色、やや明るめの、あたたかみのある肌色だ。  そのサングラスをかけた小さな顔には目立ったシワもなく、ピンとハリのある艶を持った肌である。――つまりこの男性が、そのなめらかな肌相応に若いことは、少なくとも間違いない。  そのシャープな輪郭にはたるみがなく、オールバックに整えられたホワイトブロンドのゆたかな髪は、ワックスの上品な艶を放ち、まるで輝く金糸のようだ。――ただ、そのつるりとした狭い額には、少しだけ短めの前髪がほつれてかかっている。…とはいえ、その髪型には清潔感と上品さがあり、彼のその小さな顔のシャープな輪郭を引き立てるような、そんなスタイリッシュで洗練された印象を受ける。    ふくよかな血色の良い唇は若々しく膨らんで艶があり、黒茶の四角いサングラスの上にある眉は整えられた濃茶の凛々しい、やや眉山が吊り上がった形である。  サングラスの鼻当てを支えている鼻は高く、やはり整っている。…鼻翼は小さいが、鼻筋は男性らしくしっかりとして、鼻筋がやや太めに通っている。    ちなみにこの美しい男性は、このソファ席に着いてすぐぴしりと背筋を伸ばして座ったあと、慣れた手つきで身に纏う、ベージュのトレンチコートの前ボタンをすべて開けた。――そして、そのトレンチコートの下にはほんのり黄色味がかったグレーのベストを、そのベストの下には白いワイシャツをかっちりと身に纏っており、また、その首元には真紅のネクタイを形良く締めていた。    この男性は、その小さな顔の半分もサングラスに隠れてはいるが――目元こそ隠れていてもわかるような、かなりの美形だ。…そもそもこうして、背筋を伸ばして座っているだけでも、彼がその身に纏う雰囲気は、しゃんとしたシャープで整った印象を受ける。雰囲気からしてすでに美形、とでもいおうか。  また先ほど彼が、このカフェ『KAWA's』へ訪れたときにもその美貌に驚いた僕だが、この男性は178センチある僕よりも十センチ弱は背が高く、スラリとしたモデルのようで、スタイルもたいへん良かった。――トレンチコートを着こなしている、上品な紳士というようだった。    ただ彼がこの店に訪れたとき、その右手には白杖――つまり、視覚障がい者の方が使っているあの、細長く白い杖を持っていた。    すなわちこの男性は、目が見えない方のようだ。  だからかもしれない、だからその目元を四角いサングラスで隠しているのだろうか。…確かにそういった障がいのある方は、しばしば自分の目をサングラスで隠しているイメージがある。――正直いうと、初めて視覚障がいのある方と会った僕には、なぜそうして目元を隠すのかまではわからないのだが。…とはいえ、隠しているのだから見られたくない、ということなんだろう。    とにかく、彼は若くてスマートな大人の男性だ。  いや、紳士、というべきだ。――二十七歳の僕よりもだいぶ落ち着いた大人の男性に見えるので、おそらく僕よりいくつかは年上だろう。    やはりこの男性は、きっと三十代前半くらいだ。  音を立てずにコーヒーカップをソーサーへ置いたその上品な所作にしろ、言葉遣いにしろ、その美しく上品な容姿にしろ――その洗練された容姿と立ち振る舞いを踏まえて推定するに、その程度の年齢と考えるのがまず妥当である。      
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