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昼頃、日課の鍛練をしていたごんは、門の方から人の話し声がすることに気がついた。天城と、誰だろう、聞き覚えのある男の声がする。
――門の傍で珍しいな。
ごんは縁側でぷうぷうと寝息をたてる赤子を腕に抱き、忍び歩きで話し声のする方向へ進んだ。
天城は町の人から頼りにされているので、来客は少なくない。けれど、中に通さずに対応するのは珍しかった。
「いつまでごんをここに置いておくのです」
「あの子が一人前になるまでさ」
「なんて悠長な。せめて赤子だけでも退治してくれたんでしょうね」
「赤子はまだ何もしていないよ。これからもあの子がさせないだろう」
「そんな保証がいったいどこにあるんです!」
天城と押し問答を繰り広げているのは、ごんのいた寺の住職、宗玄だった。
土色の顔に脂汗を滲ませて震える様を見れば分かることだが、ごんはその声色からひどく恐ろしがっているのだなと思った。
「あのようなめくらに何を学ばせても同じ事でしょう。不要な努力をしている暇があったら、別のことをしたらよろしいのでは」
「……あの子に仕返しされると思っているのかい?」
宗玄の心の臓がひときわ大きく跳ねるのを聞いた。
はて、とごんは首を傾げる。あの住職は自分に何かしただろうか。されたような気もするが、よく覚えていない。
「心配せずとも、貴方のことなど眼中にないだろうよ。あの子の心は愛し子を育てることでいっぱいだ。何をしたかは知らないが、報復を恐れるくらいなら振る舞いを見直した方がいいのでは?」
「う、うううるさい! このぉインチキ霊媒師!」
まるで化けの皮が剥がれたように、宗玄は天城をなじった。普段の穏やかな口調などかなぐり捨てて罵倒を重ねると、足早に立ち去って行った。
「塩でも撒こうかね……おや」
振り返った天城はごんがいることに気がついた。怒気を孕んでいた声が、努めて優しいものになる。
「聞いていたね? 気にしなくていい、臆病で矮小な人間の戯言だよ」
昼にしようね。そう言う天城の声に促されるまま、ごんは屋敷に戻った。背を押されながらも、門の方が気になって振り返る。
あれが、臆病で矮小な人間だと天城は言う。けれど、ごんには天城以外の人間は全て同じにしか思えないのだった。
なんだか、すごく嫌な予感がする。
その夜、門扉を叩く音で起こされた。
「たすけてくれ! 化物が出た!」
町の人間のようだった。赤子を抱えて布団から這い出ると、ちょうど部屋の前で天城と鉢合わせた。
「私が応じよう。お前は後からついて来なさい」
「わかった」
刀を取った天城の後を少し離れて歩く。門扉が近づくにつれ、ごんは違和感を覚えた。
人が多い気がする。
聞こえた声は1人なのだが、どうにも人の息づかいが多いように思えるのだ。
「お師匠、待って……」
がこん、と閂が外れて門が開かれる。
その瞬間、門の外から飛び出して来た鍬が、力任せに天城の肩口をえぐり取った。
「は」
驚きに目を見開いた男の頭を別の斧が割る。行く手を阻む枝木を切り落とすかのように、ごんの師は切り殺された。
「お師匠!!」
音と、噎せ返るような血の匂い。目の前で殺されたのが誰なのか、見えなくてもごんにはわかった。
「お前が悪いのだ……いつまでも化物を町中で飼い続けるお前が……」
案の定、返事をしたのは天城ではない。斧を持った手を震わせているのは住職だった。その後ろには、思い思いの武器を携えた町の人間がいる。
ごんの目が見えたらわかっただろうが、彼らの顔は一様に怒りと恐れを内包していた。
宗玄はごんと赤子を恐れるあまり、町の人間を唆したのだ。天城は人ならざるものを育てている。このままでは皆あやかしに食い殺されると。
『臆病で矮小な人間の戯言だよ』
天城の言葉が思い起こされた。
今、目の前にいるだろう人間すべてが、そうなのだろう。
ぴちゃり、と草履が何かを踏んだ。
生暖かい。
血の匂いがする。
これはきっと、そう――天城の。
その刹那、何も映らぬはずの視界が真っ赤に染まった。
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