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第一章 旅立ち
「おはようございます、柿島さん」
先程オーナーにアビと呼ばれたスーツの鳥が、挨拶をした。家の前を箒で掃除していた彼は、暗闇に目が慣れてきて背の高い人間の女性がいることに気づいたのだ。
「おはよう。ごめん……寝坊した」
少し低めだが女性の声だと分かる。彼女はすぐそこにある古くてかたむいた船の中から出てきた。少し小さくて静かな声だが、申し訳なさを感じていることが分かる。彼女はくしゃくしゃになったショートヘアを少しでも整えようと手で髪をさわっている。
「そんなことないですよ。まだ18時ですし」
アビが元気づけるように言った。
「ありがとう。先にバス行ってる」
柿島と呼ばれた女性は近くに停めてある中型のバスに向かって歩いて行った。
「……柿島さん、今日から女性なんだ。月によって性別が変わることもあるって聞いてたけど初めて見たなぁ。明日から9月だから変わったのかな」
アビはちょっと驚いていた。柿島は昨日まで男性だったのだ。その正体は貝の種類、牡蠣である。牡蠣はふしぎな生き物で、性別が変わることもあるし、中性といって男でも女でもなくなることもあるらしい。性別が変わるってどんな感じなんだろう、とアビは思った。本当の自分が分からなくならないのかな……なんて考えていたら考えすぎて頭が痛くなってしまった。
「いけない、僕も行かなきゃ」
アビはゴミを捨て、箒を片付けるとバスの方へと歩いて行く。たまにふわっと体が浮く感覚にも、小さな魚が顔の横を泳いで行くのにも慣れてきた。ここは海の底。アビは鳥で海の中だというのに呼吸ができている。
暗闇の中、バスの中で明かりがついた。昼間は光が海の底までとどくのだが、夜は真っ暗だ。アビはバスから漏れでる明かりを頼りにバスに乗り込む。柿島は運転席でイスやミラーの調整をしていた。アビも客席の点検をしたり、軽く車内の掃除をしたりして出発の時を待つ。このバスは予約制で客を乗せ、夜の間に決まった目的地へと向かう夜行バスだ。客はバスの中で眠り、バスは朝に目的地へ到着するのである。
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