0人が本棚に入れています
本棚に追加
白い別荘④
紗埜が再びファンデーションのコンパクトを手に取ったのは20歳を過ぎてからだった。
念願の都会暮らしを始めることになり自分の部屋の荷物を数日かけて段ボールに詰めた。いよいよ出発する当日になり、徐に棚の引き出しを開けた。それからいつも横目で見ていたファンデーションコンパクトを手に取るとそれを鞄に入れて家を出た。
紗埜は高校卒業後について両親と話し合った際、大学には行かず暫く東京で生活したいと言った。
父親は林業で収入を得て、母親は小さな畑で野菜を栽培しながら専業主婦をしていた。両親は大学や専門学校という進路には賛成でも反対でもなく、自分が責任を持てる範囲で決めるよう紗埜へ伝えていた。
家計の都合上、進学する場合は奨学金を借りることになるためまだ将来のビジョンが何もない紗埜はそれに踏み切ることができなかった。
紗埜は高校を卒業してから貯金をするため地元にある商業施設の飲食店でアルバイトをした。
上京する最初の1年間だけ仕送りをしてもらえることになっているが、それ以降は自分で稼いだ収入のみとなるため生活力がなければ東京暮らしは即終了する。それを承知のうえで上京することを決め準備を進めた。
佑梨に上京することを伝えた時、せっかくだからアパレル販売員をしてみればいいと勧められた。しかし紗埜にとってアパレルはハードルが高く、化粧をすることすら慣れていない自分にはとても出来そうにないと思った。
結果、勤めることになったアルバイト先は化粧品や輸入雑貨を取り扱いするカジュアルな販売店だった。制服はシャツとジーンズにエプロンという動きやすく気を使わない格好だ。
過去に飲食店で働いていたため接客は慣れていたが、取り扱っている商品の種類と数が膨大なため覚えることが多く苦労した。それでも田舎から出てきた紗埜にはあらゆる物が目新しく、楽しんで働くことができていた。
実家ではほとんど料理をしなかったが節約のため母親に電話で手順を聞きながら自炊もするようになった。
上京してから半年が経ち、販売店での仕事も板についてきた紗埜は日々が充実していると感じていた。店長からは覚えが早いと評価されており近いうちに社員にならないかと声を掛けられ、発注業務なども教わっているところだ。
両親の支援があるうえでだが、思っていたよりも生活は早く安定した。だが、同時にその頃から紗埜の心に何かが引っ掛かるようになっていった。
最初のコメントを投稿しよう!