第一章

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 娘と父親の思いがすれ違うまま、とうとう入城する時間となった。家名を読み上げられたデビュタントたちは、緊張した面持ちで控室を出ていく。アルベティーナの家名が読み上げられれば、彼女もまた父親に手を預けて控室を後にした。  控室から大広間までは通路で繋がっていて、その大広間の前でデビュタントたちが集まっていた。この扉の向こうには、国内の名だたる貴族の他、近隣諸国からの招待客もいることだろう。アルベティーナにとっても身の引き締まるような思いだ。  扉の隣で控えていた侍従が声をあげ、アルベティーナの名を告げた。お淑やかさからかけ離れているアルベティーナではあるが、さすがの彼女もこの場では緊張しているのだろう。コンラードに預けている手にも、知らぬうちに力が入っていたらしい。 「大丈夫だ。堂々としていればいい」  耳元で低い声で囁かれ、誰にも気づかれぬようにアルベティーナは小さく頷いた。  扉をくぐればそこは大広間である。高い天井には幾何学的な模様が描かれていて、豪勢なシャンデリアがいくつも吊り下げられていた。  ヘドマン辺境伯の本邸にだって、パーティを開くような広間はある。だが、これほど天井は高くないし、これほどきらびやかでもない。  さらに扉から玉座までには赤い絨毯が敷かれていて、その両脇には大勢の招待客が並んでいた。アルベティーナはまるで価値を見定められているかのような、ねっとりとした視線を感じていた。コンラードと共に玉座の前にまで進み出る。  緊張して足がすくんでしまいそうだった。そのとき、コンラードがそっとアルベティーナの名を呼ぶ。 「ティーナ……」  それは彼女を促すかのような、優しい声色だった。父の声を耳にしたアルベティーナは、玉座に座っているグルブランソン国王と王妃に向かって、何度もアンヌッカと練習をした挨拶をした。  膝を折って、頭を下げる。そして最後に頭をあげた時、やりきったという感覚が襲い掛かってきた。恐らく、不手際は無かったはず。 「遠いところ、よく来てくれた」  低くて落ち着いた威厳のある声が、アルベティーナの頭上から降ってきた。  グルブランソン国王も五十に手が届く年齢であると聞いている。それでもその年齢を感じさせない若々しい風貌。 「社交界デビュー、おめでとう。これからの人生も豊かなものであるように」 「もったいなきお言葉、ありがとうございます」  国王の言葉も、アルベティーナの言葉も、一言一句違わず決まりきった言葉である。アルベティーナがそれを知っていたのは、もちろんアンヌッカから教えてもらっていたからだ。 (私の受け答えも完璧よね)  アルベティーナは自画自賛。それが自画自賛だけではなかったと思えたのは、隣のコンラードも満足そうに微笑んでいたからでもある。 「舞踏会を楽しんでいってね」  アルベティーナの表情が凍り付いた。なぜなら、決まり文句ではない言葉がかけられたからだ。まさか、王妃から声をかけられるとはアルベティーナ自身、思ってもいなかった。  焦ったアルベティーナは「はい」とだけ小さく返事をした。  社交界デビューする令嬢が多いため、玉座の前でのやり取りは最小限であるとアンヌッカから聞かされていたアルベティーナ。だからこそ、王妃からの声掛けは異例中の異例。それに気付いているのは、恐らくその場にいた四人のみ。なぜ王妃がアルベティーナに声をかけたのか。アルベティーナは知らない。ただ、心臓がドキドキと苦しいくらいに高鳴っていた。
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