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そんなコンラードの威嚇にも負けずと声をかけてきた勇敢な男が一人いた。
「で、殿下……」
その男はエルッキが護衛するシーグルード・ヴェイセル・グルブランソン王太子殿下、その人であった。金色の絹糸のような髪がシャンデリアの光によって反射している。彼が動くと髪もさらりと動いて、耳の先が見え隠れする。彼の口元が微笑むたびに、ダークグリーンの瞳も優しく輝く。
そんな彼に気付いて、コンラードがさりげなくアルベティーナに近寄ってきた。だが声をかけるようなことはせず、少し離れたところから見守っているようにも見える。
「アルベティーナ嬢、どうか私と一曲踊っていただけないでしょうか?」
まさか家族以外の男性からこのようにダンスを申し込まれるとはアルベティーナも思ってもいなかった。しかも相手はこの国の王太子殿下である。
(お父さま、お母さま、助けて――)
その意味を込めて、アルベティーナがコンラードとアンヌッカの顔を見ると、二人は力強く頷いていた。つまり、踊ってきなさい、と両親は言っている。
アルベティーナにとってコンラードの命令は絶対である。むしろ、ダンスに誘ってきた相手が相手であるため、ここで断る選択肢は無いだろう。頬を少しだけ火照らせたアルベティーナは、シーグルードの手をとった。
その瞬間、周囲が「わっ」と盛り上がったようにも感じた。振り返れば、コンラードとアンヌッカ、そして少し離れたところにエルッキが立っていて、じっとこちらを見守っている様子。何か失礼なことをしでかしてしまったら、きっとあの三人がなんとかしてくれるだろうという気持ちが、アルベティーナにわけのわからない自信となった。
豪勢なシャンデリアが光を反射してきらめく大広間で、アルベティーナは他のデビュタントたちよりも一際目立っていただろう。なにしろ、相手があの王太子である。兄たちと踊った時よりも、値踏みされているような視線がじっとりとまとわりついてくる。
あの女性は王太子の相手として相応しいのかと意味が込められている視線だ。少しでも失敗して弱みを見せれば、すぐさまシーグルードに相応しくない女性であると烙印が押されてしまうことだろう。
「緊張していますか?」
身体が密着した時、シーグルード彼女の耳元で囁いた。その声すらアルベティーナをより緊張へと誘うことなど、この男は知らないのだ。
「はい……」
「初々しいですね」
張り詰めるような空気の中、アルベティーナは足がもつれそうになってしまう。それに気付いているのか、シーグルードのエスコートが踊りやすい。
音楽が途切れたところで、シーグルードがアルベティーナの腕を引き、そこから去った。途中、給仕から飲み物を二つ受け取った彼は、そのままアルベティーナをバルコニーへと連れ出した。他の誰も、そんな二人に声をかけようとは思わないらしい。そう思えないような特別な空気がそこには流れていた。
「喉が渇いたでしょう?」
アルベティーナはグラスを受け取りながらも、彼から離れるタイミングがわからなかった。
(二人きりでこのような場所にまで来てしまったけれど、大丈夫なのかしら……)
振りむけば、バルコニーの入り口付近にエルッキの姿が見えたような気がした。
(エルッキお兄さまがいらっしゃるから、変な噂が立つこともなさそうね)
先ほどまでの華やかな場所とは違い、暗闇の世界。それでも、大広間から漏れてくる光がこの闇の入り口を照らしているし、そこから流れてくる華やかな音楽が、この場を完全なる孤独にしようとはしていない。
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