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「最近年下の女に弄ばれているというのは本当か? 歌松」
「何だかんだ食事には行ってるんだよね? 歌松」
いつもの昼休憩の時間、柳原、そして柳原と同じく歌松と同期の神田が、歌松の両サイドをキープし歌松をからかっていた。
あの夜、ムキになった歌松はすぐ着信履歴から娘に電話をかけ説教を垂れたのだが、口達者な娘にいつの間にか会話の主導権を握られ、最後には何故か二人で出掛ける約束までしてしまった。それからは同じようなことの繰り返しで、娘の誘いを断り切れないまま、何度か食事をするようにまでなっている。
「わざわざ食事まで行くということは、満更でもないんじゃないか?」
神田に淡々と分析され、茶を飲んでいた歌松は思わず咽せた。げふげふと肩を揺らす歌松の隣で、柳原が目を細める。
「歌松は本当分かりやすいなぁ」
「……柳原、何をそんなに楽しんでいる? 問題を起こさないようにと言ったのはお前だろう」
「別に、お互い本気なら口は出さないよ。然程興味もないしね」
「“お互い本気なら”?」
「相手が面白半分で口説いてきている可能性だってあるだろ。お前は遊ばれやすいから」
娘の様子を思い出す。思い返せば思い返すほど、随分と男慣れしているようだった。そもそも本気で好きな相手に対してあれ程積極的になれるものだろうか。
歌松がもやもやしていると、柳原の代わりに神田が別の点を指摘する。
「念の為言っておくが、その女性のことを上に知られるのは望ましくない。十分に気を付けろ」
それは歌松の恋路を心配しての言葉だった。被害者の娘とはいえ、相手は歌松の扱った事件の関係者――警官としてアウトだ。申告したとしてまず許可はおりないだろう。それに、事件のデータは通報者の氏名まできっちり残っているので、怪しまれたら終わりである。
歌松がその事実を改めて自覚し険しい表情をしているところに柳原は、
「思い詰めないことだね。よく言うだろう? バレなきゃ犯罪じゃないって」
とても警官とは思えないセリフを易々と吐き出し薄く笑った。
年が明けた後も、歌松は娘とのやり取りを続けていた。そして、自分の中の変化にも薄々気付き始めていた。――あの娘のことが頭から離れない。立場上、誘われても一度は断るが、それでもしつこく誘ってくる娘に対し、以前のような迷惑さは感じなかった。それどころか、たまの休みに二人で出掛けるのが楽しみになりつつあるのだから困りものである。
恋など何年ぶりだろうか。同期の柳原や神田が立て続けに結婚していく中、自分は今後恋愛などせず生きていくのではないかと思っていた。それがまさか、取り調べ室で出会った女性にこれほど惹かれることになろうとは。タイムスリップして当時の自分に逆立ちしながら伝えたって信じてくれないであろう事態である。
「歌松さんの部署ってかっこいい方が多いんですね」
いつものレストランで食事している最中、ふと娘がそんなことを言い出した。娘が最後に署にやって来たのは二カ月程前のはずだ。何故今更になってそんな話題を出してくるのかと疑問に思った歌松に、娘が説明を付け加える。
「昨日の夜偶然会ったんです。えーっと、名前は……神田さん、だったかな。糸目の」
どうやら神田と会ったらしい。この娘は歌松の事情聴取を受けた後柳原とも話していたので、“かっこいい方が多い”というのは柳原と神田のことを指しているのだろう。確かに彼ら二人は、学生時代も随分と女性にモテていたし、女性ウケする容姿であることは間違いない。
「遅かったので送ってくれましたよ。歌松さんと同じで紳士ですよね。色々と楽しい話も聞けて、」
「――夜中に出歩くなと言っただろう」
話を遮るようにして言った歌松の声がいつもより低く、娘はきょとんとする。眉間に皺を寄せひたすらガツガツ料理を食べ始める歌松の顔色を窺い、娘はとりあえず謝罪した。
「すみません。以後気を付けます。ちょっとコンビニ行くだけだったので大丈夫かなって思っちゃいました」
「何が大丈夫だ。相手が神田だったからよかったものの……」
そこまで言って、歌松は食べる手を止めジトッと娘を睨む。
「神田にもしていないだろうな? あいつは既婚だぞ」
「えっ、何をですか?」
「俺にしたようなことをだ」
「は?」
「――だから! 接吻だ、接吻!」
随分と古風な言い方をされ、娘はポカンと口を開けたまま固まる。そして少し拗ねたように唇を尖らせた。
「誰彼構わずするわけないじゃないですか。私のこと何だと思ってるんですか」
「信じられんな。お前はどうも男慣れしている節がある。俺の事も遊びではないのか?」
「いくら歌松さんでもその発言は怒りますよ。私は本気で歌松さんのこと好きなのに、遊びだとか言わないでください」
ムッとして歌松を睨み返すその様子を見て、歌松は内心ほっとしていた。
ポーカーフェイスを貫くつもりが片側の口角が上がってしまっている歌松を、娘は訝し気に見つめる。
「……まさかとは思いますけどヤキモチですか? 別に神田さんとは何もありませんよ。楽しい話っていうのは、歌松さんの話ですし」
咄嗟に否定できず黙り込んだ歌松に、娘は呆れたような顔をして言う。
「歌松さん、めちゃくちゃ私のこと好きじゃないですか」
反射的に違うと言いかけたが、ここで否定すれば今後もっと言い出しにくくなると思い、歌松はやはり何も言えなかった。そんな歌松の内心を見透かしたように笑った娘は、からかい半分で提案する。
「もう付き合っちゃいません?」
「……それは、」
いい機会だ。自分もそうしたいと言えばいい。柳原の言う通り、バレなければいいだけの話なのだから。
――しかし、実際にそう割り切れる程、歌松は奔放な性格ではなかった。このような後ろめたい気持ちを抱えながら交際することはできない。
「もう少し、待ってくれ」
歌松がこれまでにない程真剣な表情をしていたため、娘はそれ以上彼をからかうことをやめた。
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