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ダザンの話題は食卓にも持ち込まれた。詳しい内乱の理由は何も知らされていないが、それでも風の噂だけでここまでやって来たことに、キエは少なからず驚いた。内乱は三日前に起こったばかりだったのだ。
「なんて恐ろしい。あそこは軍国主義の国でしょう。王家はまだ存在するのかしら。それとももう絶えてしまって、将軍たちが地位争いでもしているのかしら」
アステナはおとぎ話でもするかのように、わざとらしい身震いをして怖がる素振りを見せる。極北の内政がこんな辺鄙な村に届くはずもなく、また中央でもダザンの名前はほとんど口には出されない。
口の中をもぐもぐさせたまま、ヨドルが首を傾ける。
「軍国主義ではない。王が統治している限り、士師たちはその下に従属する。あそこは苛烈だからな。もし王家が滅んだら、地位争いのついでにイースルに進軍してくるだろう」
もっとも、王そのものが侵攻を選ぶこともあり得るが、とヨドルは付け足した。
「あんなに小さな国なのに、国民はどうやって暮らしているのかしらね。まさかみんな軍人ってわけでもないだろうし」
「あそこは鉱山が多いから、鉱業じゃないのか。銀だの鉄だのがよく採れる。うちとは折り合いが悪いが、貧乏な国ではないだろう。南下していくと特に宝石類は取れない」
「国を閉ざしていたら、宝の持ち腐れでしょうに」
「着飾ることで権威を示すようなアシオンなら、いくら高くても買うだろうな」
「漁業と鉱業じゃ、あまり対等とは言い難いけれど」
アステナはため息をついた。
南へ向かうにつれ、岩場や高山は減り、その代わり水が増える。海に近づいていく。
南大国ノームより下は海しかない。
かつて航海を試みたものがいるらしいが、帰ってきたものはいない。広大な海が永遠に続くのか、はたまた行き止まりで滝のようにこの世の底まで果てしなく落ち続けるのか、今をもってしても判明していない。
北西南の国は同じ地続きの大陸になっているが、東の大国カンラドは海をまたぐ必要がある。
幼い子に地形を教える時、よく左手の甲を人から見えるように下にかざして、この世界の形を表す。
小指だけ離して、四本の指を揃え、指先を下に向けて説明する。小指と薬指の間が海。空白は下へ永遠に続き果てがない。また手の甲より上を高山と例える。
小指がカンラド。さらに東もまた、海になる。
薬指の第二関節より下がアシオン。ダザンからの鋼鉄を輸入し、造船をさかんに進めている。アシオンは海の恩恵を受けているため、三大国一、漁業が盛んというわけになる。
「親父はダザンの人を見たことある?」
キエは訊ねた。肘をついてパンをちぎるものだから、ヨドルはそれをたしなめた後、今度ははっきりと首を横に振る。
「噂では冷たい寒気のせいで皮膚が固まり表情は乏しく、雪の中に身を隠すように肌が白いらしい。でも歴史の中であるように血をかぶり続けたその頭髪は、黒々としてまるで闇のようだと言う」
イースルの人間は、ふくよかな頬に温かみのある陽の色をした肌。顔つきの丸みは穏やかな気性を表しており、大抵の人はみなのんびりと柔らかい表情をしている。
キエが思い浮かべた姿は、黒白の明瞭な凍った血の悪魔。表情も感情もなく、殺戮の歴史の中の勝者。恐ろしいほどの清廉で無慈悲な美しさ……。
「内乱が正しいのなら、王家が関係しているのだろうか」
ヤヴンが取って代わって訊ねる。大して興味はないのだが、キエへのけん制を兼ねて訊きたかった。
「さあそこまでは。いずれにしろ、こちらには関係のないことだ」
話はそこで絶えた。ヨドルはそれ以上何も知らないと口を閉じ、アステナのおしゃべりに耳を傾けている。
女たちの噂話によれば、玉座のために一族が争いを始めただとか、意見の食い違いから殺し合いが始まり、そのまま大事に発展したのだとか。いずれも信ぴょう性は薄く、こうあればいいのにという会話のための誇張に過ぎなかった。
ヨドルもヤヴンも信じてはいなかった。が、キエだけはその全てをまともに捉えつつ、いちいち驚きと喜びの入り交じった奇妙な呻き声を上げた。
ダザンはこのネムロスにとっては遠い異国。
そのうち消えてしまう蝋燭の火のように、一瞬の燃え上がりを楽しむための道具だった。
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