第三話 邂逅

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第三話 邂逅

夕食を終えると、キエは外にいる羊たちの様子を見に行った。 急に寒くなったので、足は大丈夫だろうか。もし冷えてかちかちになっていれば、さすって温めてやらなくては。 灯りと毛布を一枚持ち、小屋に向かう。外に出ている人影はない。家々の灯りはぼんやりとした温かな鈍さで、村の平和を物語っている。 キエは息を吐いた。まだそこまで白くはない。もう少し季節が冬に向かえば、目に見えるほどに真っ白になるのだが。 暗い足元を確かめながら歩こうとすると、遠くから物音がした。心臓がひりつき、すぐに高鳴りだした。 ―――何かがこちらへ向かってくる。何だ? キエは音のした北のほうへ目をやった。向こうには小さな山が連なっている。山岳地帯を通り過ぎないとこの村には入って来られない。超えられるのは人か熊、あるいは野生の狼くらいだ。 人ならいい。だがそれ以外はまずい。 用心して身を屈め、キエは向こうをじっと見つめた。 やがてそれは規則正しい足音を鳴らし、人と馬であることがわかった。遠くから見える影もそれに等しい。 馬を引いているのは男だろう。そして馬にももう一人乗っているように見える。キエは警戒から来る緊張を緩ませた。 今時期にイースル中央部から下って来る人間は、恐らく西国アシオンから来ていた出稼ぎだろう。品物が売れて帰る道中に、この村に立ち寄ったというところだろうか。 習慣的にキエは歓迎の意を示すために、手に持っていた灯りを二度持ち上げた。こちらに来れば、ささやかな食事と宿を提供してあげようという意味がこもっている。 向こうもキエの灯りに気がついたようで、不安定な道筋から解放されたように足を速めてきた。 徐々に近づくにつれ、キエに再び緊張が走った。 それは出稼ぎでも旅芸人でもない。軍人のいでたちをした男だったのだ。キエの狼狽はすでに遅く、彼らはもう目の前にいた。 「少年よ、どうか恐れないで。私たちは君に危害を加えません」 馬を引いていた男が言った。 凛とした声は柔らかく、それでいて確かな自信があるように響いていた。舌の回りきらないような訛りがあるように聞こえ、それがアシオンでもイースルのものではないと気がつくと、緊張はさらに悪化した。 男の容姿は肩甲骨までの栗色の髪と瞳をしており、上背があり体格もかなりいい。何よりも身に着けているものが兵士のそれだった。黒ずくめで判別がつきにくいが、詰襟からちらと覗く肌が白い。 だが父が口にした雪の精のような容姿とは異なる。少なくとも精霊には見えないのだから。それだけがキエの安堵の材料だった。 「少年、私の言葉がわかりますか」 何も言わないキエを訝しんだのか、男は丁寧に言葉を足した。はっとしたようにキエが頷く。 「よかった。私たちの頼みを聞いてくれないでしょうか」 「た、頼み……?」 恐る恐る聞き返す。それに『私たち』という言葉で彼一人ではないことを思い出し、馬にまたがっているもう一人を見上げた。黒い外套を頭までまとい、目だけを覗かせた男。白い肌。髪の色はわからないが、その瞳の漆黒に、キエはいよいよたじろいだ。 立っていた男が微笑みを向ける。 「君は歓迎の意を見せてくれたではないですか。だから私たちはここまでやって来たんです。どうかその厚意に、甘えさせてはくださいませんか」 問いかけているはずなのに、ほとんど言い聞かせているような語気がある。圧倒されてしまい、キエはただ頷くしかなかった。 ふらつく足に叱咤をかけ、キエは懸命に平静を装う。でもおそらくこの男には気づかれているだろう。
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