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窮地に立たされてもなお、ジリアスは実の兄を愛していた。
十七年間一度も逆らわなかった弟のまま死んでしまうことが、自分のためでもあるような気がした。
たった一人の兄のためならば、自分の命など。
ジリアスは涙の流れる強く目を閉じた。最期に見るのが憎しみのこもった兄の姿では、死してもなお苦しみ続けるような気がした。
振り下ろされた剣の風を感じ、ジリアスの体は恐怖で震えた。しかし痛みはやって来ない。
恐る恐る目を開けると、ジリアスとベアゴールの間に、黒い甲冑を身に着けた男が立ちはだかっていた。持っていた剣によって、兄からの攻撃を防いでいる。
「アルタス……」
アルタスは少し首を動かし、横目で背後にいるジリアスに無言で一礼した。
彼はジリアス付きの従者だった。
兄の呼び出しに応じたジリアスが、いつまで経っても戻って来ない。褒められることも怒られることも率先してしないジリアスを待つ身には、それは長い時間だった。
そこでそっと招集をかけられた王の間を覗いて見ると、ベアゴールが王を殺害したばかりの惨状が目の前にあるではないか。
何があったのかはともかく、早急に自分の配下にことを知らせ、すぐにでも動けるように手配した。アルタスは最悪の事態が起こってから行動するなど、愚鈍な才は持ち合わせてはいなかった。
ベアゴールの憎悪がアルタスにも向く。きりきりと震える剣は力が拮抗している証左。
「退いてくれ。それともお前は俺ではなく、その能無しを王と慕うつもりか」
「なんとも言えません。私は何も聞いていない。王は今あなたが殺したではありませんか」
アルタスの言葉はしっかりしていた。狼狽が隠れているとしたら、一瞬でも力が抜けると押し負けてしまいそうな剣にあった。思いがけず強い。しかし彼は背後で怯えている主人のために、気を引き絞った。
「ジリアス。なぜ俺かお前か選べと王に言われたこいつが、あえてお前を選んだんだろうな」
ベアゴールはせせら笑った。答えはすでに知っていて、あえて訊いているのだとジリアスにもアルタスにもわかる。さっとジリアスの顔が紅潮した。
―――僕が、弱いから。
しかしアルタスはそれには答えなかった。
「士師はもともと王の手駒です。何を思って士師に子どもたちを選ばせ従者にしたのか、私にはわかりかねます。ですが私はこの子を選んだ。聞くまでもなく、理由などあなたならご存じでしょう。そしてもし王を殺したのがあなたなら、私は次の王をあなたではなくこの子だと判断しますよ。身勝手な人殺しを王に据えるわけにはいきませんから」
後ろを振り向く。微笑みを向けられたので、ジリアスは思わず目を背けてしまった。
兄は鼻で笑った。
「士師は三軍。中軍士師は俺のものだ。俺にも分があるとは思わないか」
「左右はジリアスのもの。数だけで言えば、あなた、負けますよ」
ベアゴールの黒い瞳がジリアスを睨みつける。アルタスは嘲笑を込めた表情で兄の視線を受け止めた。
「それで、わざわざ国の宝剣まで取り出してお父様を殺したのですね」
「ダザンはもともと血の流れる国だ。剣も王族の血を浴びて喜んでいることだろう」
ちらりとベアゴールの剣を見たアルタスの瞳は無表情だった。さらにジリアスの血を欲しているのだと言う。
「かの偉大な王の剣まで持ち出して、このような失態を演じるなど王族の恥だとお思いにならないのですか?」
そう口にしたアルタスの声色はひどく冷たい。まるで氷柱の先端を喉元につきつけているかのよう。
だがベアゴールは意に介さず、ただ仄暗い微笑をその黒い瞳の内に宿しただけだった。
「我が始祖アローは王にして最も栄誉ある国つ神だった。その威光を再び頭上に登らせることの何が悪い」
「しかしアローイス。ダザンの民であり始祖の子どもよ。国つ神の時代は遠い過去の伝説です。今や神の剣は穢れ、錆と埃のもとに沈むべきだったのに」
「まだ血は絶えていない。俺がいる限りな。沈むには惜しいと思わないのか?」
ジリアスは耳を塞ぎたくなった。
神の剣。そのせいでこの国は閉ざされてしまったというのに。
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