第二話 噂

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第二話 噂

冬季になると、西国アシオン寄りにあるイースル国ネムロス地方といえども、北から吹いてくる冷気を肌に感じて寒い。 「暇だなあ」 ぽつりとキエは呟いた。枯草の上に仰向けに寝転び、見上げた空があまりにも青い。 ネムロスは小さな村落で、生業は主に麦作りや、山羊の乳から取れるチーズであった。 豊穣の謳う国イースルは農業が盛んで、どこに位置する小さな村落でも、同じように豊富な類を見ない青果あるいは家畜を育てられた。 また規模の上でも世界で一番大きい。もっとも豊かな国だった。 北に位置する手前、冬は寒いが、夏は暖かい。一年を通してもっとも四季の色合いが満ちる国である。 ネムロスはとりわけ、その間に位置していたため如実に表れた。 キエはその村の羊毛職人の次男坊だった。 村が国に吸収されてからというもの、羊飼いよりも豚や牛飼いのほうが儲けがいいからと職を変えるものが増えた。やがてたった一人の職人になった父親ヨドルは村の特産物を唯一生業できるものとして、そのうち村長に任命された。 キエや、兄のヤヴンもそのうち父を継いだ職人になる。 ヤヴンに至ってはすでにその頭角を見せており、手先の器用さと若さも相まって、作る品物をイースル国中央に持ち寄ると、たちまち売れた。きめの細かさのために、主に若い女に重宝されていたようだ。 人当たりもよく愛想もいいヤヴンが売りに出せば、一日足らずで村に帰って来る。引いてくる荷車は空だが、懐の金は溢れんばかりだった。 しかしキエはもう十五になるというのに、のらくらしてばかりでいた。それというのも、キエの中でどこかで納得のいかない感情があり、ここではない何か、何者かになりたいという願望が強かったためである。 いつか父と兄に連れられて行ったイースル国中央で見た兵士。王の祝祭に興じた弓士の豪胆な一矢は、今でも忘れられない。 キエはそういったものに憧れていた。それゆえに糸紡ぎの練習もせずに、日々こんこんとその憧れだけを募らせていた。 「することないなあ」 ―――別に、ないわけじゃないんだけどさ。 これから冬にかけて毎日必要になる暖炉の薪を割る仕事があった。キエは羊毛を織る仕事部屋に寄りつかない代わりに、ここによく逃げている。 空は青かった。これから冷気が降り、白んだ天気が増えていく。今上空を泳ぐ雲はまだ小さく、のんびりとしている。 ―――雲はちゃんと動いてるっていうのに、俺はただ生きているだけだなあ。 眩しそうに雲を目で追う。が、視界の端に影が生まれた。 「お前、一体いつまでそうしているつもりだ?」 見かねたヤヴンが仕事部屋から出てきた。両腕を腰に当てキエを睨んでいる。 「羊毛なんてつまらないものばかり作って、ヤヴンは楽しいのかよ?」 「楽しいか楽しくないかなんて関係ない。生きていくのに仕事は必要なんだ。それがたまたま羊毛だっただけで、俺はそれに不満はないね」 確かにヤヴンの言う通りだ。仕事がないと稼げない。稼げないということは、食べ物が買えずに生きていけないということだ。 「そんなこと、わかってるさ」 キエは小さく舌打ちをした。足の反動を使って起き上がる。 「やりたいことは自分で決める。それの何が悪いんだ?」 「悪いとは言っていない。ただ、無理なこともあるんだ。お前はその無理なことをしようとしている。わからないか?」 「わからないね!初めからあるものに満足してるなんてつまらねえ!兄貴はそれでいいだろうよ。何もしなくたって村長様になれるんだもんな!」 「なんだと⁉」 ヤヴンはキエに掴みかかった。十八にもなる兄の体格はキエよりもどっしりしており、キエは簡単にふらついた。ここで尻もちをついては一生の恥になるだろう。 「やるのか!」 「また負かされたいのか?キエ!」 「今日は俺が勝つってんだよ!」 キエは踏ん張って、ヤヴンの襟元を掴んだ。
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