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「こら!おやめ!」
母アステナがやって来て、二人の間に割って入った。恰幅のいい体から伸びる腕が二人の服を掴んで、引き剥がす。
兄弟は渋々手を放した。咎めるようにアステナの目が交互に子どもを見ていたため、お互いにもごもごと口を動かし口元だけで謝った。
キエは許してはいなかったし、ヤヴンもまだ怒っているだろう。それでも喧嘩をしていることがこの母の目に留まると厄介なのは、ヤヴンには痛いほど理解していた。
「まあいいわ。喧嘩両成敗、ね」
アステナの家事でささくれだった手が、ヤヴンの額を小突いた。
「やめろよ」
彼は首をのけぞって振り払い、それから探るようにキエを見た。キエは無表情のまま、家に戻っていく母の後姿を見送っている。
「母さんはまだ兄貴を子ども扱いだ」
「いい加減にしてくれと言っているんだけどな」
「しょうがないだろ。お兄ちゃんなんだから」
キエはにやっと笑った。喧嘩の延長にもつれ込む必要はない、とヤヴンは心の奥で安堵の息を漏らす。キエの怒りは母が兄を負かしたことですっぱり吹っ切れたよう。
「長男なんだから、俺より目をかけてるのは当たり前だよな」
ヤヴンは思わず息がつまった。弟の目は母の後を追っている。が、それが何を物語っているのかわからない。ヤヴンは見ていたことを悟られないように、首の後ろに手を回し、ちっと舌打ちをする。
「別に、そんなことないだろ。お前がいないところですげえ怒る。それに俺が父さんの跡を継ぐから、粗相がないようにって」
「そうですか。まあ、いいんじゃないの」
「お前だってちゃんとやれば……」
「あー、だめだめ。俺はどうしたってヤヴンとは違うんだから」
投げ捨てるようにキエは言った。
兄弟が比較されることは当たり前にあるだろう。
生まれつき要領のいいヤヴンは、母からしたら申し分のない自慢の子だった。だからこそキエは自分の要領に対して満足ができずに、ヤヴンと不毛な比較をしてしまう。それに母が物語る無言の扱いの差異は、優劣の有無を明確にさせていたのだから。
ヤヴンは今一度キエを見た。足元の土を爪先で弄んで、所在なさげにしている。
キエがここではないところに行きたいと願っているのも、それが原因ではないだろうか。ヤヴンの心配の根幹はそこにあった。
だからこそヤヴンは意地になって、キエをここにいさせたかった。
弟の居場所は常にここにあるのだと、わかってもらいたかったのだ。
「まあ、何を言われても俺は止めないよ。俺は俺のやりたいようにやるさ」
キエは顔を上げて、両手を肩のあたりに掲げた。もうこれで話はおしまいというように、その場を去ろうと背中を向ける。ヤヴンはその背に声をかけた。
「なあキエ。俺は俺の役割を果たしているだけだよ。そしてお前にも、その片棒を担いでもらいたいだけなんだ」
キエの足は止まらなかった。兄の言葉に気遣うような慰めが込められているのも、痛いほどわかっていた。だからこそ余計に腹が立って仕方がない。
―――そんなこと、できたらやってるさ。
どうして自分は何者にもなれないのだろう。
キエの疑問はいつもそこに到達し、答えはいつまでも現れずに終わる。
別に家族が嫌いなわけじゃない。こんな態度でも食べさせてくれて、眠るベッドを用意してくれる。
守られている。にもかかわらず還元できない。役に立たない自分。
だから余計に意固地になって夢を追いかけたくなるのだ。
夢を叶えれば、きっと母もヤヴンも認めてくれるから。
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