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びゅう、と強く北風が吹く。冷気が服の中に入り込み、キエは身震いをした。もうじき冬が来るのだ。
羊毛が重宝される季節。そう思うとキエは陰鬱になる。
求められるままに手を動かさざるを得ないで、両親はようやくあの子も腰を落ち着けたといった目を向けてくる。何よりも耐えられず、応えられない期待だった。
これでまだ出来がよければいいのだが、悪いとくるのだからなおのことバツが悪い。
「キエ!」
名前を呼ばれて我に返る。振り向くとカヤナがそこに立っていた。今しがた別れたばかりのヤヴンを横に携え、彼女は歩いてやって来た。
「何?」
そっけなく言う。幼馴染で少し年上のカヤナは慣れた様子で、キエの態度など気にせず近づいてくる。思わずキエは一歩後退した。
「あたしにまで喧嘩を吹っかけないでちょうだい。それよりも、今年は中央へ行けないかも」
「なんで?」
「たった今親たちから聞いたばかりなんだけどね、極北のほうで内乱が始まったようなの。こっちまで火の粉が飛ぶとは思わないけど、イースルの王様がとても警戒しているって」
「極北?極北ってどこ?」
キエは考えながら言った。国の名前すら出て来ない。
「ダザンよ。あの、独裁国家」
カヤナは息をのんだ。まるで恐怖するように、もったいぶった口ぶりだった。
彼らが住むイースルは、北部全域を支配する複合国家。
もともとは大陸北部の中心地を領地としていたが、年月をかけて徐々に周辺の土地を吸収し、大国随一の巨大国家へと成長した。ネムロスもかつては独立した小村だったが、キエが生まれる何代も前に合併されイースル国西部ネムロス地方と名を変えた。
そんなイースルの上にあるのは唯一何らかの条約も協定も結んでいない北小国ダザンだ。ダザンより上には人は住まず、人の背の三倍は優に超える奇岩の続く鉱山地帯が果てしなく広がっているだけらしい。
だからダザンは極北と呼ばれている。
だが北国の中でも端と端に位置しているのだから、ほどんど関係ない。
キエには未だにぴんと来ていなかった。
「へえ。それで?」
ヤヴンが呆れたように言った。
「バカ。もし中央国家が内乱の援助を受け入れたら、まず間違いなく若者が連れ出されるだろう?そんな時に出稼ぎに出てみろ。中央の住民に間違われて戦争に行かされるぞ」
戦争。それは兵士を動員した殺し合い。
さっと顔が紅潮をしたのを見てとったヤヴンが、キエの顔の前で指を鳴らした。
「お前、間違っても行きたいなんて言うなよ。何の訓練も受けていないガキが出て行ったって、瞬殺されるのがオチだろう。命を大事にしろ」
「う、うるさいな」
見透かされたこと、その上先を読まれたことにキエは動揺した。間違いなく事実だ。恥ずかしくなった。
「あの国とやり合うようになったら、絶対死ぬわ。勝てるはずない。だってあそこ、悪魔に魂売ったんでしょ」
「悪魔あ?」
思わずカヤナの表情を窺う。本気で言っているとは思えなかった。が、彼女は真面目な顔つきで唇をしきりに舐めている。
「悪魔なんているわけねえだろ。何言ってんだか」
キエはため息をついた。
「違うのよ!あんた、知らないの?あの国、呪われてんのよ。国造りの時代に誤った選択をして、唯一神に見捨てられた国なの。だから国を閉ざして誰も出てこない。悪魔と取引をした罪人なの。もし入ったら最後、死んでも赦しを与えられないのよ」
「そんなわけねえだろ……」
半分呆れてキエは言った。
歴史と伝承の狭間の出来事といえど、遠い昔ともなると信ぴょう性を欠く。唯一神の存在を疑うというよりも、それから見放されているという事実があるのならば、もうとっくの昔にダザンは滅んだはずだ。
だからキエはカヤナの話を冗談半分で聞いていた。
兄弟喧嘩していたことを知らない彼女は「まあそういうことだから」とだけ言うと、足早に自分の家の方角に向かって戻ってしまった。
再び二人だけになり、無言のまま並んで家に戻る。牧歌的な村の様子はいつもと変わりない。平和で何もなく、流れる血は怪我と出産と経血だけ。
何を求めているのだろうか。キエは遠くで起こった内乱に恐れを抱きつつも、小さな憧憬を抱いてしまったのだ。
―――もし、ここを出て行って戦いの場で武功を上げられたら。そしたら……。
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