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こんな現実は到底受け入れられない。顔中焼け焦げて化膿し、鼻は溶けて赤黒い肉を露出し、唇は半分なくなっている。
「これでも最善を尽くしたんだ。何せ運ばれた時点では顔の原型さえなかったから」
病室のベッドで手鏡を見ていると、担当医の生温い言い訳が耳に入る。
今まで、不細工な現実を覆すためにダイエット、スキンケア、メイク、ファッション、色々な要素に手を出して来たのに、結局行き着いた先はこの顔だ。
これからは人間の作品化される時代だと予想し続け、健介という作品を世に出しても恥ずかしくないくらいにはなっていた。
「こんなんじゃ、世に出すどころか、外にも出られない」
「命は助かったんだ。不幸中の幸いだと思うよ」
人の感情に無関心な言葉は、研がれていない刃物同然で一番痛みを感じる。
「あなたはこれで外に出られるって言うんですか」
ベッドから立ち、医者を真正面に捉え、嘘だけは絶対に言わせないようにする。
「そういう見た目なら、却って何も言われませんよ。きっと事故か何かがあったんだろうなって人は察してくれますから。世の中、そんなに捨てたものじゃないですよ」
この医者は何も分かっていない。恐らくこの医者だけではなく、世の中の多くの者がこれからの世は作品化だと気づけず、外見に無頓着な人が多い。
作品として美しさを磨くには、外殻の美も内容物の美と同様に価値を持つ。側も実も美しくて初めて独立した作品として成立する。
紫の失望に浸り柔らかくなった心に、どん暗い視線が刺さった気がした。何かと思い、周囲を見ると、煙の輪郭、カサブタだらけの肌、崩れた目鼻口から覗く業火のような赤黒さが見えた。
炎に飲まれた時に見た奴がいる。奴は健介に向かって想念を送る。
「そうか」
彼は何となく気づかされた。外見が異常になる故に、内在する人間性も腐らせ、精神から何もかも崩壊させる実例になれば良い。
全人類が自身を作品と見做し、美しくなろうとする世の中のためなら、人柱になってもかまわない。
見た目が悪くても作品としての価値を上げるために、磨こうと意識を持ってくれたなら、誰も過去の自身のように傷つかない。
健介はマスクとサングラスを看護師に用意してもらい、久しぶりに外に出た。電車に乗って横浜駅まで来た。バスターミナルの方に出て、相鉄ジョイナスの中を通る。
家族連れ、カップル、友人同士みんな完全な人間の顔で楽しそうに笑っている。
ドン・キホーテで刃物を幾つか購入し、ビブレの前の川沿いの広場で幾人の顔を滅多刺しにした。
これで良いと煙は破顔する。この顔が何なのかは知らない。ただ、人間は作品化する時代のため、他の存在の手によってどうにでもなるのと気づいた。
●
杉の木が晴天に向かってそびえ立つ。若松寺の境内で、裕太は仰向けに倒れた。隣では顔をフォークでグチャグチャにした白桃の果肉みたいにした兄が息絶えている。
煙の顔の怒りと悲しみで支配された表情を見て、急に兄が許せなくなった。境内にある香炉が目に入り、近くに安置してあったチャッカマンを手に取った。
兄が必死に合掌する後ろから、短いツンツンした髪の先を炙った。
ある程度燃えた時に着火された事実にようやく気づいた兄は、手水舎に急いで向かおうとした。
裕太は首根っこを掴んで兄の行動を制し、頭部が火達磨になってから地面の砂利に叩きつけた。
なんでなんで、と醜い声を繰り返し口にしていたが、裕太は答えられなかった。
だが、今何もかもが終わって倒れて落ち着きを取り戻した。何となく行動の意味を理解し始めた。
燃やされたアーモンドの期待に応えたかっただけかもしれない。煙の顔に笑ってほしかった。
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