さよなら

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 古時計の音が、私を夢へと逃がしてくれない。カチカチと響いては、心まで乱してきた。現実から逃げてしまいたいのに、こう言うときほど意識が鮮やかなんて酷だ。  一時休戦し、目を開ける。月光に染められた部屋は、私を怖じ気づかせた。  右手を左手で包む。幸せな時間の証明が、両手に食い込んだ。  時刻はまだ、二時を追い越していない。なのに、いてもたってもいられず、私は窓の前に立っていた。  現実を自覚した瞬間、境界線からの一歩が怖くなる。けれど、別れを告げなきゃいけないから。    いつもの場所に白うさぎはいた。月光に映える横顔が、相変わらず美しい。  見つめていると、不意に姿がぼやけた。雫が頬を伝い落ちる。道の先が見えなくなって、前に進めなくなった。拭っても拭っても乾かない。 「アリス……?」  小さな声が私を呼ぶ。近づく気配を汲み取りながらも、動けなかった。湿った土が私の足を離してくれない。  白うさぎが月光と私を隔てる。額がぶつかりそうな距離にあると、息の感触で分かった。 「泣いているの? どうかしたの?」  問いかけられ、喉が詰まる。けれど必死に、言葉の形を組み立てた。 「……わ、私、どうしたらいいのか分からない。貴方との時間を、ずっと夢だと思っていたの……でも違った。ここは現実の世界で私は言いつけを破って貴方と会っていた。これからだって本当は会いたい。けど駄目なの……」 「どうして?」 「……だって、お父さまが悲しむから……」 「…………そっか」  世界が明るさを取り戻す。距離が僅かに遠くなった――それだけで心細くなった。  見放された。失望された。冷たい恐怖が、止めようと努めた涙を促進する。 「でも、僕にはアリスの方が悲しそうに見えるよ。それに、アリスが悲しいと僕も悲しい」  だが、思いのほか簡単に、涙は活動を退いた。表情を掴みたくて、急いで袖で水分を奪う。
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