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NEWS1.忘れられた部屋
「あ、秋原さん何食べます?」
少しお高い和食のお店で、ばっちりスーツを着こなして正座する俺は、恐る恐る目の前の女性にそう質問した。
「何って…東家くんがおすすめしてくれるんじゃなかったの?」
「え!?そ、そうでしたっけ…」
「店の予約もそういう話だったじゃない?」
俺こと東家ソウマは勇気を振り絞って、このバイト先の先輩である秋原コムギさんを食事に誘ったわけだが、緊張で空回りしてしまっていた。
「だって普段からこの店に来てるって」
「そそそ、そうでしたね…」
俺にとっては大事なデートの最中であり、ここがお付き合いまで続く分岐点で、いわゆる人生の勝負どころだった、緊張するのも無理はないだろう。
「大丈夫?あたしも払おうか?」
「い、いえいえ!そういうわけにはいきません!」
「はあ………」
胸元まで伸びた秋色の明るい茶髪をくるくると指で回す秋原さんは、ため息を吐くと呆れたような目で俺を見つめた、焦る俺は冷や汗が止まらなかった。
「まず落ち着いたら?」
「お、落ち着いてます…」
明らかにデートの服装じゃないジャージ姿の彼女の言いたいことが、手に取るように分かってしまった、やがて焦りは限界にまで達してしまった。
「…じゃ、じゃあ秋原さんはこのうな重にしましょう!」
「東家くんは?」
「お、俺はこの…お味噌汁だけでいいかな…」
「なにそれ」
「…いやその!今は様子見で!後から頼みますから!」
「ふーん………」
こういう時に俺がすることと言えば一つしかない、自然に向けた手のひらからとある力を使うと、俺は彼女に再び質問をしたのだ。
「あの、俺のこと覚えてます?」
「うん?誰?」
「あ、すみません人違いでした、あはは、すみません、あはは……」
「………」
俺は席を立ちながらバレないように素早くお金を置き、そそくさと遠ざかって店から出ると全力疾走で逃げる、これがどういうことかはすぐに分かる。
「………あれ?東家くん?」
これはほんの少しの間、俺を忘れさせる能力、直後に秋原さんは俺のことを思い出すと、いつの間にか目の前に置かれたうな重用の代金に気がついた。
「はあ………」
今日一番不満そうな顔をする彼女は、今日一番大きなため息を吐きながらそう呟いた、彼女にこの能力のことは話していないが、何となく察したようである。
「つまんない」
それが最悪の選択であることを、ここにいない俺は知る由もなかった、こうやって都合の悪いことから逃げ続けるから、いつまで経っても彼女なんてできないのだ。
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