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王宮の最奥にして最も天に近い庭に出た。
切り立った断崖のようなそこに立つと、国全体が見渡せる。
絶望に身を寄せて、降りかかった災異を受け止めることで精一杯な国民の悲壮な嘆息が聞こえるよう。
今この国は新たな時代の転換期を目前にしていた。
「こらっ。ちょっとは大人しくしろっ」
今にも飛び立とうとしている白鳥の首元を抑えつつ、キリオンが正服に身を包んだジリアスに目を留めた。周囲のものはみな叩頭に近いほどに頭を下げる中、直属の従僕の彼だけは軽く会釈をするだけだった。
「具合はどうです?傷口は?」
「ありがとう。平気だよ」
ジリアスは腹部に手をやって、大事ないと撫でた。
一瞬、彼の目が「本当か?」と訝しく光った。だがジリアスの真横に控えていたアルタスがこくりと頷いたので、それ以上の追及はされなかった。
キリオンもまた、同じように白い服に身を包んでいる。胸には左軍の梟の徽章。黒く長い髪を一つに束ね、後ろにまとめている。はっきりとした色味に、ジリアスの目元が眩む。おそらく自分も同じように周囲を眩ませているのだろう。
ちょっと心もとなくなり、髪に手をやる。ざんばらに切った黒髪は、今では切りそろえられて少しずつ元の長さになろうとしていた。
「冷えますか?」
横にいたアルタスが問う。早くも手には暖かそうな外套を持っており、その色もやはり白。ジリアスは小さく首を振った。
「少し短く切りすぎましたね。申し訳ございません」
心にもなくアルタスが謝る。
国から出る際、身を隠すために切った髪はアルタスの手によるものだった。不器用ではないのだが、急いでいた手前どうしてもきれいに整える暇がなかった。事態が落ち着いてから改めてはさみを入れてみると、短いところに合わせるしかなかったのだ。
王家の人間が髪を切り落とす。これはどの国においても奇異に映るだろう。
襟足を撫でていた手を下ろし、ジリアスは微笑む。
庭の断崖には、彼らのほかに祭官の数人と政務を取り仕切る申命師らがいた。いずれも面を上げて以来、沈痛そうな面持ちでジリアスの声を待っている。
王が死んだ。そして新たな王が立った。
けれど、彼らの予想と望みの通りの人物ではない。
ジリアスにはそれが容易に想像できたし、また痛いほど理解を示せる。
彼らの望んだ王であれば、暗い身位に侍るだけでよかったのだ。従来通りの闇の眷属として血と死の栄光に抱かれながら、閉塞的な国を守るだけでよかったのに。
国は変わった。
闇から解放され、光の道を歩き出さなければならない。
ジリアスは足元に目を落とす。灰褐色の石段は崩れかけ、冷たい渇いた空気に舞う。その欠片の先を追うと、天へと昇って行った。
青い空。黎明の清らかさ。
「さあ、父祖を送ろう」
ジリアスは言った。
静かな声を合図に、キリオンが白鳥から手を放す。白鳥は自由になった。いっせいに国中を飛び回り、北のさらに遠くへと飛んでいく。向かう先は唯一神の住むところだろうか。
疲れ切った民たちに、父の魂を見送ってくれとは言わない。けれど白鳥の嘶きに、その顔を上げてくれればいい。
ジリアスは心の中でそう祈った。
解放された鳥たちの翼の白が、空を舞う。
ひるがえる翼が落としていく羽は国中に落ちていった。
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