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 夏が終わるころ、俺たちの最後の夏が始まった。    バイトに明け暮れた夏休み。労働基準法により18歳未満がアルバイトをできる時間帯は22時までと定められている。時計の針が22時を回ったころ、コンビニバイトが終わり、裏口を出た時だった。 「あ、あの、あの!  琉生(るい)せん、ぱい!」    突如声をかけられた。  こんな夜遅くに声をかけられるなんて思いもせず、肩が大きくビクッと震えた。辺りは真っ暗の中、コンビニ店舗の照明の光に照らされた人物が立っていた。黒のキャップを深く被っていて顔は見えない。  俺の名前を呼ばれたような気がしたが、顔が見えないので誰なのか分からない。一目見ただけでも完全に怪しい。俺が女だったら通報案件である。男でも通報しても構わないだろうか。待ち伏せされたことなんて初めてで、ましてや怪しさしか感じない男だ。 「琉生先輩の、残りの夏を買い取らせてください」  耳を疑った。やはり俺の名前を知っている。  瞬時に不審人物はストーカーに格上げだ。    状況を把握しようと頭をフル回転させるも、思考が追い付いてこない。「残りの夏を買い取らせてください」目の前の男の言葉が耳に残る。  理解が追いつかない現状に、詐欺集団への勧誘か? 恐喝されているのか? 様々な憶測が頭の中をめぐる。時間帯と夜の静けさがやけに恐怖を駆り立てる。喉で詰まって声が出てこない。 「怪しいものではないです」  明らかに怪しい。夜遅くに深くキャップを被って顔を隠して、待ち伏せをする時点でかなり怪しいのだ。 「あ、身分を証明する学生証です」 「……」  差し出された学生証を見て驚いた。見覚えのある学生証。同じ学校だったからだ。 「え、君って……」  顔を上げて、ゆっくりキャップを頭から脱ぐと顔があらわになった。瞳が大きくて幼い顔つき。光に照らされた髪の毛は茶髪でさらりと風に靡いた。  同じ学校のようだが面識はない……と思う。コンビニから漏れる照明の光に照らされる中、もう一度学生証に視線を向けた。少ない光の中で確認できたのは、どうやら一年生のようだった。 「結論からいうと……琉生先輩の時間が欲しいんです」 「えっと、時間が欲しいとは?」 「琉生先輩と一緒に過ごしたいんです」  まさか男に待ち伏せされる日が来るとは夢にも思っていなかった。わかりやすく動揺している。   「え、いや……悪いけど、俺は……」 「知ってます」  もしかしたら、俺に好意を持ってくれているのかもしれない。悪いが俺が好きなのは女性だ。すぐに断ろうとするも、断る言葉を言わせてもらえなかった。言い終える前に遮られる。 「ずっと見ていて、琉生先輩はノーマルで女が好きなのは知ってます……ただ、一緒に過ごしたいんです。一日でいいので……」  なんだろう。彼の発する一言一言が怖い。  なにげない会話のようだが、堂々とストーカー発言のように感じる。 「琉生先輩は、お金に困ってますよね。琉生先輩の残りの夏を買い取らせてください」 「ちょっと、待て。君の言っていることが少しも理解できなくて困ってるんだが……」 「琉生先輩は、父、母、弟の4人家族。来年上京するための資金を、両親に頼らず自分で稼ぎたいと、アルバイト生活を余儀なくされている」  淡々と話す内容に背筋にぞわっと寒気が走る。疑惑が確信に変わる。彼は立派なストーカーだ。俺の家族構成を調べ上げた上に、アルバイトしている理由を知ってるのはごく僅かな人しか知り得ない情報だ。なぜ彼が知っているのか分からない。怖いという感想以外出てこない。  こいつはやばい。俺の直感が逃げろと訴えてくる。  幸運なことに足は速い方だ。逃げ切れる自信はある。深く息を吸い、地面を蹴り上げた。   「琉生先輩の1日を日給2万円で買い取らせてください」  蹴り上げたはずの足が止まった。その言葉は俺にとってなによりも魅力的な言葉だったからだ。    彼が言った通りでお金に余裕はなかった。喉から手が出るほど金は欲しい。  日給2万円。にわかには信じられない金額だった。 「……買い取るって、怪しい仕事でもさせるつもり?」 「あ、あやっ、怪しい仕事なんてさせないです。僕と夏を一緒に過ごして欲しいだけです」 「は? それだけ?」 「そう、それだけです……」 「そ、その……身体の関係とかは……」 「それは心配しないでください。身体の関係までは求めてません」  ただ夏を一緒に過ごすだけで日給2万。そんなうまい話があるものか。頭で冷静に判断している自分と、目の前にぶら下がる金に惹かれている自分がいた。 「僕は琉生先輩と、この夏を過ごしてみたい。琉生先輩はまとまったお金が入る。……けっこういい話だと思いませんか?」  無邪気な笑顔に心を奪われた。悪い奴ではない。そう思ってしまったんだ。気づけば頷き、俺自身の買い取りを了承していた。    高校生活最後の夏休みは明日で終わりだ。明後日から新学期が始まる。暦の上では夏が終わる。そんな時に俺たちの最後の夏は始まった。  買い取りを了承した後、冷静になって考えた時、あることに気づいた。日給2万にという大金に惹かれたが、日給2万を24時間で割ると時給が833円なのだ。  最低賃金の全国区平均は1004円。最低賃金を下回っているのだ。これはやられたか。  そう危惧して、さっそくその件を問いかけた。  「24時間、琉生先輩の時間をもらうわけないです。そんなブラック業者みたいなことしないですよ」    口を開けて笑っていた。買い取り期間は1日間。バイトも通常通り行っていいらしい。寝るときは、もちろんそれぞれの家で。実質過ごせるのは日中の時間だけだ。改めて告げられて、買い取り話が冗談ではなかったことを実感する。 「改めまして晴人(はると)と言います。宜しくお願いします」 「あ、ああ」 「さっそくなんですが、明日はどうですか?」 「明日?」 「予定ありましたか?」    まだ受け止めきれてないのに、明日の提案に戸惑う。 困惑しているのが表情に出ていたのだろう。俺の顔色を伺っている。残念ながら明日の予定はなし。断る理由もなかった。 「明日……大丈夫だ」  つい大丈夫と言ってしまったが、一度持ち帰って、ゆっくり考えた方が良かったかもしれない。そう思ったのに、目の前で嬉しそうに目尻を下げて笑う君を見たら、不安なんてすぐに消えたんだ。    その日はそのまま家に帰った。自分の部屋のベッドにダイブして今日の出来事を振り返る。  自分で言うのは虚しくなるが、特別かっこいいわけではない。そんな俺を日給2万で買い取る理由が分からない。     「考えてもしょうがないか……お金のためだと思っていきますか」  天井に向かって投げかけた。明日は高校最後の夏休み最終日。少しだけ心弾ませる自分に気づかないふりをして、眠りについた。
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