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 ♢  都会とは言えないが、中心部は栄えて暮らすには申し分ない。そんな町で今日は夏祭りが開催されるらしい。  夏祭りに行きたいと提案したのは晴人だった。日給をもらう俺は晴人が雇い主だ。拒否する権利はなかった。  商店街のはずれから、屋台が立ち並ぶ。りんご飴や焼きそば、祭りの定番商品が連なっている。屋台が立ち並ぶ道は人ひとり通るのがやっとなほど、人で溢れかえっていた。  あまりの人の多さに怯んだ俺たちは、人の群れに飛び込むことなく、屋台が立ち並ぶ道から少し外れたところに腰を下ろした。晴人の希望により、出会ったばかりの男と二人で夏祭りにきている。なんだか不思議な気分だ。  「今日が楽しみ過ぎて、なかなか眠れなかったですよー」  俺は人込みの熱気と夏の熱さにうんざりしているのに、隣で上機嫌な声に、口角は上がり口元が緩んでいる。嬉しさが隠し切れないという表情だ。  ずるいだろ。その表情は。  心が揺さぶられる。暑さにうんざりして無表情だった俺も、思わず隠しきれない笑みが零れだす。   「なんで夏祭りに行きたかったんだ?」 「この夏祭り行ったことなくて、行ってみたかったんです」 「へー。行ったことないなんて、珍しいな」 「……」    なぜか返答はなく、じりじりと照り付ける太陽に気力を奪われそうだ。   「その……さ、なんで金を払ってまで俺の時間が欲しかったの?」 「ん-。好きだったから。好きな人の時間を買えるなら、買おうと思うのが普通でしょ?」 「いや、普通ではないな」 「えー。買えるものなら欲しいですよ? みんな自己抑制してるだけでしょ」  とんでもないことを真面目な顔で言いのけるので、正論のように錯覚してしまう。   「同じ学校なら、普通に話しかけてくれたら……」 「……そう、できればよかったですね」  歯切れの悪い答えに、この時の俺はなにも疑問を抱かなかった。汗がしたたるほどの暑さで、頭が回っていなかったのかもしれない。   「買い取って……夏祭りにくるだけでよかったの?」 「はい。……かなり満足しています」 「……金持ちの遊び?」 「そんなわけないです! アルバイトで貯めた真っ当なお金ですよ?」  汗水流して働いた2万円を俺に注ぎ込むのか?  2万円を稼ぐことの大変さは身に沁みて知っている。知っているからこそ、正気の沙汰とは思えない。 「こうして、琉生く、先輩と一緒に歩けるだけで幸せなんですよ。夢みたいだ」 「夢みたいって大袈裟だろ」 「大袈裟じゃないよ? ずっとこうしたかったんです」  満面の笑みを浮かべて告げた言葉は飛び跳ねているようだった。そんなに嬉しそうに言われたら、気持ち悪いなんて思うはずがない。  正直最初は気味が悪かった。夜中に待ち伏せしたり。公表していない個人情報を調べ上げたり。やってることはストーカーだったのだから。しかし、目の前で目尻を下げて笑う彼を見ると、そんな嫌悪感が薄れていくようだった。 「あっ、少し人が引いてきた。なにか食べません?」 「あー、行くか」  屋台は先が見えないほど立ち並んでいる。一番奥まで歩いて検討するか、近場の屋台で済ませるか。身体をしたたる汗が思考を停止させる。 「とりあえず暑いな。かき氷とかアイス食いたい」 「かき氷、ありましたよ?」  俺はブルーハワイ。晴人はイチゴ味。かき氷を購入して座って食べられる場所を探した。少しでも太陽の日差しを避けたいので日陰の地べたに座り込んだ。 「つめたー。うまー」  太陽の日差しを遮る日陰は、やはり涼しい。  どこからか太鼓ばやしが聞こえてくる。祭りを盛り上げるBGMにはぴったりだ。 「学校は? 楽しい?」    場を繋げるために聞いた何気ない会話のはずだった。それが晴人の顔を曇らせるなんて思ってもいなかったんだ。曇らせた後、視線を下げて俯いたので、表情が見えない。 「え、なんかまずいこと聞いた?」 「そんなことないですよ? 楽しいです……」  不安が湧いてきて顔を覗き込むと、笑顔を浮かべていたのでホッとした。同時に失言してしまったかのかと危惧した心を落ち着かせた。   「ずっと憧れてたんだー。この町のお祭りに来ること」 「去年もあったじゃん」 「あー、うん、いけなかったんです」  ゆっくりと視線を逸らした。瞳が揺らいでいるように見える。ニコニコしているかと思えば、突如悲しそうに俯く。晴人の心の影が気になってしまう。  「せっかくさ、俺の時間を買ったんだ。晴人のやりたいことやりつくそーぜ」  どうにか楽しんでほしくて、柄にもなく声を弾ませた。表情がぱあっと明るくなった。瞳に光が反射して、子供のように分かりやすい晴人が微笑ましく感じる。喜びを表現されると、柄にもないことをしてよかったと思えた。 「えっと、えっと……屋台全部見て回って、食べて、琉生先輩とたくさん話したい」  瞳を輝かせてそんなことを言われては、断る選択肢はなかった 太鼓や笛の音が鳴り響く中、人込みをかき分けて歩いた。屋台で買っては食べて話す。それを何度繰り返しただろう。    日が沈む頃には汗ばむことなく、夏の終わりを知らせるようにそよりと風が吹いた。肌を撫でる風に居心地の良さを感じた。 「……琉生先輩と一緒に、夏祭りに来られてよかった」  口いっぱいに屋台で買った唐揚げを頬張りながら喋るので、口に入れたはずの食べ物が零れ落ちそうだ。  なんだろう。なんか憎めないな。  もし彼が女子だったらな。好きになっちゃうだろうな――。    自分の心の声を聞いてハッとした。何を考えているんだ俺は。邪な気持ちを払拭するように、両手でパチッと頬を叩いた。俺の心は最も簡単に乱されていく。 「琉生先輩? どうしたの?」 「あー、蚊がいた」  もちろん蚊などいない。一瞬血迷いそうだった。危ない。頬を叩いて痛みで現実に戻ってきた。  目の前にいるのは男だぞ。そして笑顔の仮面をつけた俺のストーカーだ。好意を向けられ慣れていないせいで、簡単に心が揺らいでしまう。
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