虚構日記 2023/10/09

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虚構日記 2023/10/09

 三連休の最後の日。  寝具のカバーをひととおり冬用に交換して、洗って乾燥機をまわして、買い出しに行って。  途中で、コンビニの店番をしていたおっさんに声をかけられた。昨夜、当て逃げされたのを見ていたそうだ。 「派手にすっ飛んでったから、てっきり死んだと思った」  意外と頑丈みたいで、と愛想笑いしてやり過ごす。  明日は普通に仕事なのだから、長話につきあわされるのは勘弁してほしい。  来週頃には、コンビニの奥さん手作りスイーツがまた食べられそうだ、という情報だけ聞いて逃げてきた。私は甘いのよりも、ハムチーズをはさんだフレンチトーストのほうが好きだけど。  帰宅すると、王子が車椅子のアンティーク・ドールに傅いて求婚している最中だった。  いや、そう見えただけで、姉と筋肉ゴリラはとっくにカップルなのだけど。  あちこち無駄にふくらんだ王子ルックに見えたのは、中身の詰まった筋肉だし、落ち着いて見ても王子顔はやっぱり王子顔だ。  アイコラゴリラ、という言葉が頭に浮かんだけど、直接呼びかけるほどには口のパッキンが老化してはいない。まだ。たぶん。  深紅の膝掛けのうえから搔き抱くようにして頬ずりしていたレミ王子は、私の顔を見るとなんともいえない表情をした。  ええと。 「おかえりなさい」  なんとなく、そう言うのが似つかわしい気がした。  正解だったらしい。  筋肉レミが、レミたんの顔になって飛びついてくる。  ガードする間もなく頬をくっつけてきて、チュッと音を立てるかわり、 「カシマ!」  と弾んだ声で呼んだ。  最初にサトルに引き合わされたとき、私の姓を聞いて、火の島という意味かと興奮していた。シカの島だと訂正したはずだけど、なにかツボを押す名だったらしい。  ここにいるの、おまえ以外は全員カシマだが? と言ってみたい。  バイトから帰ってきた妹は、「まるたん」のことを覚えていたにせよ、会うのは小学生のとき以来だ。リビングのドアのところでフリーズした。  覚えているかな、とレミが長身をかがめる。 「レミおじさん……?」  レミが世にも悲しそうな目で姉を振り返った。姉は口笛でもふきそうな顔をする。  見たところ、姉とレミとがまだ若いとき、二人の間に生まれた子が、この妹なのだ、という設定のほうがしっくりくる気がする。  私は里親がわりの親戚のおばさん。実年齢より若く見られる私だが、化粧もしないで、田舎の大学生くらいに見えるというだけだ。 「……大きくなったなあ」  おじさん呼ばわりのショックから立ち直ったレミは、やはり妹の父親だろうかと思うほど、感情のこもった声をもらした。  姉を盗み見ると、視線をやったのがすぐバレた。いつもの取り澄ました姉だ。  夕飯は、ホットプレートを出してお好み焼きにした。  キャベツを私が刻んで、生地を姉が混ぜる。それぞれ好きにトッピングしながら焼いた。  生地の入ったでかいボウルを受け取ったとき、昨日痛めた首がズキリとした。  ストレッチするように肩や首を回していると、レミが小声で言った。 「すまなかった」  なにが? 「巻き込んでしまった」  数秒、脳が意味把握を拒んで空白になる。  やだ怖い。  姉が言っていた、レミの帰国は昨日のはずだったというのを思い出してしまう。  ただの、不注意な車に当てられて、運転手はビビって逃げたという話じゃないのか。 「日本に帰国して、うちに泊まるって時点で巻き込む気満々だろ」  姉が行儀悪く箸でレミを指す。  食卓では断片的にしか聞かされなかったけど、詳細は、まず姉に話してからということらしい。  夕食後は、姉の風呂の介助を誰がやるかで揉めた。別にどうぞどうぞのスタンスだった私がジャンケンで勝ってしまって、妹とレミが後片付けになる。  キッチンにならんで立つ二人の後ろ姿は、やっぱり親子めいていた。  実はレミの隠し子なんじゃねえの? と軽口を言えるほど、レミとはまだ打ち解けてない。  なんてことを風呂で姉にこぼした。  姉は考え事をしていたのか、生返事だった。長いまつ毛がお湯でくっつき束になって、いっそう人形じみた顔になる。  平和だ。  ふと、言葉にして確かめたくなった。  平和だ。  おやすみなさい。
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