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第一章
"愛"には人それぞれ形がある。
敬愛、友愛、家族愛、同性愛……。
愛に形は無いと誰もが揃って口にするが、"犯罪者との愛"は如何だろうか。
"ストックホルム症候群"
これは、犯人と長い間同じ空間に居ることで情が芽生えてしまう事を、心的外傷後ストレス障害とメディアが解釈して表現されたものだ。
これは、世間から"愛"では無いと非難され続けた青年たちの物語。
恐ろしく、歪であっても此れが"愛"だと訴え続けた青年の物語。
***
どこにでもいる普通の高校生、葉山愛斗はこの平和な世に退屈していた。最も、平和が嫌いな訳ではない。何の刺激もないこの日々に飽きてしまっていたのだ。
また、自身が虐待や過去に犯罪被害を受けたりして世の中に恐怖を抱いている訳でもない。家庭はごく普通の三人家族で、学校生活ではきちんと"友"と呼べる者がいる。それでも、不幸知らずなこの少年は世の中が退屈でたまらなかったようだ。
その日も、いつもと同じで退屈な日常な筈だった。学校に登校する為に無駄に早起きをし、役に立つかも分からない授業をダラダラと受ける。
部活動の帰りの途中のことだ。
お小遣いを片手に自販機でお茶を購入した時に偶然派手なファッションをした男性とぶつかってしまい、帰宅が遅れてしまっていた。
その男性は謝ることはないと言ってくれていたものの、派手なファッションから背景にヤクザを連想し、後々ヤクザが家に来るのではないかと怯え家まで送り届けたのだ。
蛾が飛び回る街灯を背に大きな溜息をつく。
「何でこう世の中は窮屈なんだよ。何か刺激があれば楽しめるのに……」
そう独り言を呟いたときである。
急に背後から人の気配がし、口元をハンカチのような物で抑えた。
「ん゛っ、ん゛……」
必死に声を出そうとするが音にならない。一生懸命に助けを求めようとするが、通行人すらいない路地ではSOSすら届かないであろう。
相手は大人の男性なのか、筋肉のある愛斗が本気で抵抗しても、その手を引き離すことはできなかった。
次の瞬間、唐突に右腕を強く固定され、更には、腕がちくりと痛んだ。注入されたものの正体はわからないが、恐らく注射針の痛みである。
数秒程、藻掻いていたが、呼吸も苦しくなり段々と意識が遠のいていく。この短い時間が如何でも良い物事を考えられる程には長く感じられた。
そこで愛斗の意識は途絶えたのだ。
***
如何しようもない吐き気と共に、目が覚めた。部屋の畳の上で横になっていて紐で手足がきつく結ばれている。
──は……何だよ、これ。
取り敢えず何とかしなければ、と紐を必死に引っ張るが、それ程丈夫なものなのか、ぴくりとも動かない。
暫くの間は現状が受け止めきれず、頭の中が疑問で沢山だった。が、低い視界から周りを見渡すと、壁中に自分の写真が大量に貼られていることに気が付いた。
「こんな写真、撮ったか? それにしても、量が多くて気持ち悪い……」
あまりの恐怖に細々と口に出す。
寒くもないのに身体は小さな音を立てるほど震え、顔色は青褪めている。
何故なら写真はどれも目線がカメラにあっていないのだ。
すると、タイミングが悪いのか良いのか、部屋の扉が突然開いた。
「あれ、起きたんだ」
優しそうな吐息混じりの男性の声に、気分が和らいでいく。
しかし、これはきっと"誘拐"されたのだと我にかえり、怯えてしまう。一瞬、恐怖で失禁するのではないかと思った程だ。
呼吸は乱れ、段々と感情も荒れていく。もしかしたら、過呼吸気味の状態に陥っていたのかもしれない。
誘拐犯であろう男が自身の身体をゆっくりと起こす。
「ふふっ、そんなに怯えなくても大丈夫だよ。今は痛くしないから」
恐る恐る犯人の顔を見ると、愛斗は犯人の顔の美しさに思わず黙り込んでしまった。
ぱっと見、犯罪を起こしているとは思えない程、優しそうな目つきに金色の髪。"美青年"という言葉が似合う男だった。
「これからよろしくね、愛斗くん」
ご丁寧に挨拶をしてくれる男を見て、これは本当に誘拐なのかと自問自答してしまう。自分も挨拶するべきだろうか、と迷ったが、直ぐに何故名前を知っているんだということが頭に過ぎった。
「お、お、お前は誰なんだ。何で俺の名前を知っている?」
男を刺激させるまいと、出来るだけ小さな声で話す。当然、その声色は強ばっていて、身体と共に声も恐怖で震えている。
男が答えるまでの間、今の状況を整理したことで浮かんだ考えは三つだ。
一つ目、これは只のドッキリで、TV好きなら誰でも知っているドッキリ番組の大掛かりな撮影。
二つ目、実はこの男は知っている人で自分の親から自分を少しの間預かるように言われていた。
三つ目、男は自分のストーカーで、自分が一人でいる所を見計らって誘拐した。
現状を理解できない心を落ち着かせる為に三つの案を出したが、何となく答えは分かっていた。ドッキリ番組なら人を無理矢理、注射で眠らせて拘束するなんてことはありえないし、知人でもそうだ。
「僕の名前は七瀬理久。何故、名前を知っているかなんて、聞かなくても分かってるでしょ? 僕は君のストーカーだからだよ」
間違えなく、頭の中でそんなことは分かっていた筈だったけれど正直本当のことを知ると一つ目、若しくは二つ目が良かったと嘆いてしまう。人生の中で必ずと言っていいほど体験をすることのない経験に理解が追い付かない。
次に一番聞きたかった質問をしてみることにした。
「俺をどうするんだよ。殺す? それとも一緒に心中?」
その言葉を聞いた理久は何を思ったのかクスクスと笑い始める。
愛斗は今まで人生に退屈し、これが続くなら死んでもよいと思っていたがその事に深く後悔をすることになった。誘拐されて初めて自分が幸せだったという事に気が付いたのだ。
けれども彼は求めていた、いや、考えていた答えとは正反対の回答をした。
「え、そんなことしないよ。ただ僕は愛斗くんと一緒に過ごしたいだけ」
嘘は幾らでも簡単につけるものだが、その真剣な眼差しに彼の言っている事が嘘だとは到底思えなかった。殺されることはないと分かり、ひとまず安堵する。
「でも、ここから逃げるようなら殺すけど。後、逃げる逃げないに関わらず暴力はしちゃうかもね」
愛斗はもう高校生だ。この状況に陥ったら犯人を刺激しないのが一番大切だとよく分かっている。暴力を振るわれるのは恐ろしいけれど、命に比べたら安いものだろう。
「そう、なら大丈夫だよ。逃げるつもりはないし」
上辺ばかりの肯定の言葉を聞いた瞬間、彼の目はみるみる明るくなった。元々の可愛らしい顔立ちに明るい表情が加わり、美しさを際立てている。まるで、子供みたいだ。
一方で未だに状況が受け止めきれず、気が動転していたので
──そんなに、俺のことが好きなんだな……。
と柄にもないことを心の中で呟いてしまう。
けれども、こんな非現実的な事件に巻き込まれたことに加えて、同性相手に告白まがいなことをされるだなんて予想打にしていなかったこともある。
脳内思考の九割を"戸惑い"と"恐怖"が占めていたのは確実だった。これから毎日ストーカーと怯えて過ごすくらいなら、今すぐ舌を噛んで自殺した方がいいと思える程だ。
こうして世間の常識を狂わせた誘拐事件、愛斗と理久の日常生活が始まるのだった。
世間から見ると面白おかしく狂った、異常とも言われるであろう生活が……。
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