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少女と祈り
夕凪を見ていた少年は、自分の周りに誰もいなくなったことに気づいた。自分もそろそろ行こうと思ったそのとき、広場のピアノが静かに鳴り始めた。
彼は広場に響きわたるピアノの音にすぐに反応した。「シシリエンヌ」だ。振り向くと、少女がピアノを弾いていた。
なんだこの音は……優しい。
少したどたどしいものの、寄せては返す波を再現するかのように、あえて抑揚を押さえて夏の暑さに疲弊した人々を癒すような音。それは、祈りだった。
弾いているのはさっき隣に座っていた少女だろうか。いや違うかもしれない。さっきの女の子は小柄だった。鍵盤に両手を広げて、身体がとても大きく見える。彼は座っていたシートから目をこらして少女を見たが、よくわからなかった。もっとよく顔を見ておけばよかった。
いい「シシリエンヌ」だな、と彼は思った。それは彼が日本に来る直前、アメリカのピアノコンクールで弾いた曲だった。
アメリカで、少年は幼い頃からピアノを習っていた。そして数カ月前に日系のピアノの先生にコンクール出場を勧められた。先生はこの仕上がりなら入賞できると太鼓判を押し、彼も自信を持ってコンクールに臨んだ。しかし、実際のところ彼は入賞できず、優勝したのはハニーブラウンの瞳をした少年だった。
ぼくの「シシリエンヌ」には、いったいなにが足りなかったのだろう。
ミスらしいミスはなかったし、周りのコンテスタントと比べてひけをとらないか、もしくはそれ以上だったと彼は憤った。すると、一足早く冷静になった先生に「噂だけど」と前置きされたうえで、コンクールの主催者がアジア人に対して良い印象を持っていないという話を聞かされた。
心の底に小さな痛みをもたらす差別が存在することは、少年も身をもって知っていた。もちろん国際コンクールであれば、そんな偏見など通用しないだろう。でも彼が住んでいたのは中西部の片田舎で、コンクールもそれほど大きなものではなかった。アジア人が西洋音楽を理解できるのかと主催者が話していたのを聞いたことがあるという人もいた。
だったら、あの白人の少年が持っていてぼくが持っていないものはなんなんだろう。
アメリカで生まれ育っても、自分はアメリカ人ではないのだろうか。かといって、自分は日本人だと胸を張って言えるだろうか。彼の両親は日本人だけれど、彼はそれまで自分のルーツについて考えたことがなかった。自分はいったい何者なのか。
主催者に対する怒りは少しずつ消えていき、新たな思いが少年のなかに満ちていった。自分のルーツや日本。連綿と続く歴史の中に自分というちっぽけな存在が一瞬現れたこと。自分も音も、つまりは一瞬で消え去る。そんな自分にいったいどんな音を生み出すことができるのか。自分はいったいどうあればいいのか。
そんなとき、祖母がピアノ教室を辞めたという連絡がきた。
日本へ行こう。
そして少年はここにやって来た。駅で迎えてくれたのは、あの「シシリエンヌ」だった。ストリートピアノの音色が心地よく彼の耳に響いたのはなぜなのだろう。ここが“ふるさと”だからなのか。
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