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愛が重過ぎて機嫌が悪くなる。(視点:咲)
食事を終えてからも葵さんとお喋りをした。大学の様子。卒業の見通し。就職活動のこと。大半は私への質問だ。大学は変わりない。卒業も論文のテーマは決めたのであとは書いて纏めるだけ。就職は小さな会社の事務員に決まった。そんな風に一つ一つ答える。堅実だね、と葵さんは目を細めた。
「しかし咲ちゃんも卒業かぁ。早いもんだ」
そう言って頭の後ろで手を組んだ。
「真面目にアドバイスをするけどさ、今の内に旅行とか行った方がいいぜ。社会人になったら纏まった休みが取れる保証なんて無いから」
「まあ、はい」
曖昧に頷く。葵さんはド忘れしているみたいだけど、私は瞬間移動も出来る。地球上なら何処へでも行ける。宇宙は空気が無いから無理だけど。行きたいところへ好きな時に行って、夜は自宅で眠れるのだ。だからあんまり、旅行へ行きたい、とはならない。それにしても撮影会で何百回も瞬間移動をしているのに、忘れちゃうものなのだな。葵さん、疲れているのかも。少し心配になる。そこへ田中君がお冷を注ぎに来た。
「君は旅行とかしないのかい?」
葵さんがいつもの調子で話し掛ける。
「予定はございません」
「何じゃその喋り方」
吹き出す葵さんの耳元に田中君が顔を寄せる。大分近いなぁ。
「仕事中なんです。後にして下さい」
「おや、今日はデートしてくれるの? 葵、嬉しぃー」
彼は溜息を吐き去って行った。背中には、付き合いきれない、と書いてある。周りのお客さんがさり気なくこちらを見ていた。私が恥ずかしくなる。
「あんまりからかったら可哀想ですよ」
宥めると、ふん、と鼻を鳴らした。唇を尖らせている。意外な反応だ。てっきり、そうだね、と肩を竦めたり、別にいいじゃんか、と笑ったりすると思っていた。
「どうかしましたか」
「んー、何でも」
言いたくないんだ、と察して口を噤む。急に気まずい沈黙が訪れた。葵さんと一緒にいる時にこんな空気になるのは珍しい。やっぱり疲れているのかも。
「この後、どうします?」
おずおずと切り出してみる。んー、とアイスコーヒーを啜った。その目は田中君を追っている。テレパシーを使えば何を考えているのかわかる。だけどそれは覗き見と同じだ。使ってはいけない。
「咲ちゃんはどうしたい?」
「コスの小物を見に行きたいくらいですね」
「じゃあ行こうか」
そうしてコーヒーを飲み干し立ち上がりかける。でも、慌ててアイスティーに手を伸ばす私を見たら座り直してくれた。
「ごめん、まだ途中だったね」
「いえ、すぐに飲みますので」
「いいよ、ゆっくりで。急かして悪かった」
テーブルに頬杖をつき、今度は此方を見詰める。細めた目には私がどんな風に映っているのかな。そんなことを考えながらアイスティーを飲み干した。
「行きましょう」
「すまんね」
葵さんが伝票を持ってレジへと向かう。ありがとうございました、と田中君が小走りにやって来た。二人は一言も交わさない。店員さんとお客さんが喋らないのは普通のことだ。だけどこの二人は友達同士。さっきまで楽し気だったのに、葵さんの纏う空気ははどうにも固い。お会計を済ませてあっさりとお店を出る。ありがとうございました、と田中君が軽く頭を下げた。
「じゃあね」
「うん、また」
私達はそっと手を振りあった。胸が暖かくなる。
ビルを出ると途端に陽射しが襲って来た。午後三時前。まだまだ暑い時間帯。私は平気だけど葵さんはキツイだろうな。此処へ来る途中も辛そうだったし。並んで駅へ向かって歩き出す。すぐに葵さんが口を開いた。
「ごめんな、嫌な雰囲気にしちゃって。ちょっとあいつに苛ついて」
いえ、と反射的に応じる。だけどすぐに疑問が湧いて来た。
「田中君、葵さんに何かしましたか?」
「いいや、何もしていない」
「それならどうして」
うーん、と唸った。いつも飄々としている葵さんには珍しく、歯切れが悪い。
「私のエゴではあるんだよなぁ。余計なお世話だ。君と、彼にとってはさ」
どうにも話が見えて来ない。葵さんの勝手? 不機嫌になったことが? 返事を見付けられないでいると葵さんは先を続けた。
「あいつさ、旅行に行く予定は無いって言ったじゃん。それが何か、腹立った」
更に首を捻る。口を突く単語は一つだけ。
「何でですか」
珍しく理不尽な物言いだ。田中君が可哀想になる。まあ彼は葵さんの機嫌が悪いと気付いていないようだけど。だってさぁ、といつもは優しい先輩は両手を広げた。途端に後ろから自転車のベルを鳴らされる。今日の葵さんは調子が悪い。
「大学最後の夏休みなのに、咲ちゃんと旅行へ行くつもりは無いってことだろ」
「え?」
「だから、イラっと来た」
思いがけない理由に言葉を失う。ただ、家を出る前にも同じような話をしたな、と頭を過ぎった。
「わかっちゃいるんだよ。君らは付き合っているわけじゃない。咲ちゃんは真面目だから一緒に旅行なんてしちゃいけないって言っていたし。だけど大学生活は終わるんだよ? 卒業したら今みたいに自由な時間は無くなるんだ。休みだって合わなくなるかも知れない。友達でいることすら難しくなる可能性もある。だからせめて今の内に楽しんで欲しい。そういう勝手な願望を押し付けているから、これは私のエゴなんだ。頭でわかっているのに態度に出る辺り、私もまだまだクソガキだな」
最後は溜息が交じった。それに対し、ありがとうございます、と私は呟く。
「そこまで、私達の関係を考えてくれて」
「お礼を言われる筋合いは無い。自分の思い通りに動かないからって不機嫌になるような人間なんだよ、私は。どこまでも傲慢で厚かましい」
自嘲気味に吐き捨てる。だけど私は、違います、ときっぱり否定した。
「葵さんは普段、そんな態度や言動をとる人じゃありません。私達のためを考え過ぎたから溢れてしまったのです。そんなに思って貰えるなんて、ありがたいに決まっているじゃないですか」
そう言い切ると、ようやく葵さんは表情を緩めた。
「まったく。こっちが恥ずかしくなるほど純粋だな、君は」
そっと頭を撫でられた。外では流石に照れ臭い。だけど撫でられるの自体は好きなのでされるがままに受け入れた。
「さて、この話は此処までだ。折角のお出掛けなのに雰囲気を悪くしたお詫びをしよう。コスの小物だっけ。何でも買ってあげるよ」
「気を遣わなくていいですよ。それに今日は買いません。さっき買ったメイド服に合う物があるか見に行くだけです」
「慎ましやかだねぇ」
頭をぽんぽんと軽く叩くと葵さんは伸びをした。
「私も咲ちゃんみたいな素直さが欲しいよ」
今日の葵さんは返答に困る発言が多い。曖昧に微笑んで隣を歩いた。
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