食べられたくない山あざらしは人間に化けることにした

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『私達も、パパのところへ行こうか……天国でだったら、お金がなくっても……ジンベイザメさん(七海ちゃん)に会えるかもしれないから……』  ミコト達の暮らしていた家から最も近くでジンベイザメが見られる場所は、八景島の水族館で暮らす「ジンベイザメの七海ちゃん」だった。  夫を自死で喪ったミコト達の母は、ひとりで子供ふたりを育てるのに必死だった。物理的な距離は遠くなくても、そこへ行くための時間も入場料金もなかなか捻出出来なかった。  水族館のジンベイザメが自然死したという何気ないニュースを聞いただけで。一気に現実の悲しみと生活の苦しさが押し寄せてきて、心が圧し潰されてしまったのだ。  もっとお金があれば、ジンベイザメが死んでしまう前に、子供達を連れて行けたかもしれないのに。  夫が死ななければ、お金も家族の時間も、もっともっとあったはずなのに……。 「あたしって薄情な娘だからさ。今はもう、あたしとの約束も守らないで死んじゃったパパよりもね……今もこの世のどこかで生きていて、あたしが会いに行けるまで待っててくれるジンベちゃんの方が好きなんだぁ」  久しぶりに会いに来てくれた父親に向ける表情としてはあまりにそぐわない、他人行儀な笑顔。「パパに化けるサン」へ向けるミコトの眼差しは、どこか冷めてすらいる。  幼い頃と現在でミコトの人柄が様変わりしたのは、両親がしたように、現世の辛苦から逃れるために死を選んでしまわないように。無意識の防衛反応。それだけではなかったのだとサンは思った。  ミコトは、母による無理心中から奇跡的に助かったのではなくて……かつて家族と共にいた頃のミコトの心は、一緒に天国へ旅立ったのだ。それはもしか、家族と共にいたいからというだけではなくて。「家族四人で七海ちゃんに会いたい」というあの頃の夢を叶えるため……。 「それにね、パパがいなくても、あたしにはもうジンベちゃんを一緒に見に行ける相棒がいるの。食べられて死んじゃうのが嫌だからって人間に化けちゃうくらいに、『生きていたい、死にたくない』って強く強く思ってる子なんだ。そういうのがあたし、いっちばん安心出来る。だから、あたしを心配して化けて出て来たりしないで大丈夫だよ」  パパは天国で、ママとモカ()と一緒に、楽しく仲良く暮らしてていいんだよ。  その言葉を受け取って、サンは無言で、化ける術を解く。山あざらしの姿に戻った。 「なぁーんだ、パパじゃなくてサンだったんだね。おかえりー。今日もちゃんと帰ってきてくれてよかったぁ」
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