彼女は世界的アイドル

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 彼は今、単身ヨーロッパに来ている。推しのの海外公演を見届けるためだ。  彼女は今回に限らず日々世界中を飛び回り活動しているのだが、日本以外での公演を観るのは今日が初めてだ。期待と、異国の地に一人という緊張感で武者震いがする。 「ハックション!」  と思ったが、どうやら身体が冷えていただけらしい。夜が近づいてきたこともあるだろうが、やはり日本と比べヨーロッパ(こっち)の気温の方がずいぶんと低く感じる。 「お? もしかしてアンタも日本から来たのか?」  突然馴染みの言語で声をかけられた。振り返ると、ところどころ素肌の出ている彼とは対照的な、全身ファーで身を包んだ暖かそうな格好の男が友好的な笑みを浮かべていた。 「そうですけど、なぜ分かったんですか?」 「クシャミをする時に『ハクション』と言うのは日本だけだからな。文化の違いってやつだ」 「なるほど。ところで、アナタももしかして?」  尋ねると、「あぁ。俺も日本から彼女の公演を観に来たんだ」とファーの男は言う。こんな場所で同胞と会えるとは思ってなかったので、心強さに顔が綻ぶ。 「こんなところまで追っかけて来るなんて、熱心なファンなのですね」 「アンタこそな。彼女のどこがそんなに気に入ったんだ?」  ファーの男からの質問に彼は少し気恥ずかしそうに答える。 「まぁ一言で言えば親近感というか……僕こう見えて、たまに彼女に似てるって言われるんですよ」 「似てる? どういう点で?」 「見た目です」 「へぇ……な、なるほど」  ファーの男は解せないといった様子でわずかに顔をしかめたが、彼は気付かずにニコニコと笑っている。  そして「そちらは、彼女のどんなところがお好きで?」と尋ね返す。 「俺か? 俺はどこが好きとかねぇよ。ただ、アイツを見てるだけで理性なんかぶっ飛んじまうんだ」 「理性が飛ぶ?」 「あぁ。身体が妙に熱くなって、自分のモンじゃねぇみたいに力が湧いてよ。その感覚が好きで、ずっと追いかけてるのかもしんねぇな」 「へぇ。それは素敵ですね」  まぁな、と嬉しそうに鼻を啜るファーの男。  その時後ろから「よく知ってる言葉が聞こえたんだけど、もしかして二人も日本から?」と呼びかけられた。  見ると、やや赤みがかった目の色のイケメンが立っている。 「おいおい、まさかアンタもか?」 「うん。日本から、彼女の公演を観に」 「マジかよ! こんなことあるんだな!」 「すごい! でもそれだけ、彼女が多くのファンに愛されてるってことですね!」  嬉々として彼が言うが、赤目の男は否定する。 「いや、俺はファンというより、恋人みたいなものかな」 「恋人!? 彼女の!? 本当ですかそれは!」 「彼氏が居るなんて聞いたことねぇぞ!」 「まぁ正式に告ったり告られたりしたわけじゃないんだけど」 「何だそれ。ストーカーか?」  彼女の敵と見るや険のある声を出すファーの男。赤目の男はそれに落ち着いた様子で応える。 「違うよ。だけど、彼女と俺が両想いなのは本当」 「ハァ? なんでそんなことが分かんだよ」 「だって彼女、身体に俺の姿のタトゥー入れてるからね」 「マジ!?」 「あのタトゥーってアナタだったんですか!?  彼とファーの男は同時に驚きの声を上げた。そして改めて赤目の男の姿をマジマジと観察する。  確かに、彼女の身体にあるタトゥーと同じに見えなくもない……か?  まぁ、とにかく。 「疑ったりしてすみません。でもストーカーじゃなくて安心しました」 「あぁ、俺も悪かったよ」 「いいよ。でも、意外だな」 「何がだ?」 「恋人なんて言ったら、正直ストーカー以上に恨まれるかもって」 「何言ってんだ。推しに恋人が居たぐらいで騒ぐほど、やわなファンじゃねぇよ」 「そうですよ。恋人だろうがファンだろうが、彼女を好きで応援する気持ちは同じです」 「……ありがとう」 「せっかくこうして会えたんですから、今夜は一緒に楽しみましょう!」 「そうだね。素敵な出会いに乾杯」 「おしゃべりはここまでだ。そろそろ始まるぞ」  ファーの男の言う通り、太陽が今にも地平線の向こうに隠れようとしている。  いよいよ開演だ。空というステージが暗くなり、星という照明がキラキラと輝き出す。すると、世界をまたにかける彼らの(アイドル)が姿を現した。 「わー! 今日も可愛いよー!」  スッポンである彼は、彼女と同じまんまるの甲羅をフリフリし、歓声を上げた。 「うぉー漲ってきたー! ワォーン!」  ファーの男は、ムクムクと肥大化した肉体を二足で支えオオカミ男となり、彼女に向かって高らかに吠えた。  そして赤目の男は。 「おい! 何で知らない奴のタトゥー入れてるんだよ! 誰だその男は!」  長い耳を夜空に向けてまっすぐに立て、悔しそうにぴょんぴょん跳ねていましたとさ。 ※月の模様は日本では「餅をつくウサギ」ですが、ヨーロッパ、特に南の方では「カニ」だそうです。文化の違いですね。
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