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15
御所へ来てから丸二日、早朝と陽が落ちた頃に小鬼たちが現れたが、あの鬼はまだ姿を現していない。しかしこれだけ頻繁に鬼が御所に現れることはこれまでなかったことで、陰陽寮が言うとおりあの鬼が現れるのも近いだろう。
「なんだァ、ぼんやりした顔なんかして。そんなに奥方が恋しいのか?」
「……師匠はいつも元気ですね」
「俺もまだ若かったってことだなァ」
アハハと笑う師匠は誰よりも鬼を斬っているというのに、腕自慢の若い武士たちよりもずっと元気そうだ。体力といい胆力といい、相変わらずだなと懐かしい昔を思い出す。
誰もが少し食欲を失っているなか、さっさと夕餉を食べ終わった師匠は汗を流すのだと言ってどこかへ行った。さっぱりした顔をしているということは汗は流せたのだろう。……いや、髪は濡れているのに着物は同じだから、また頭にざぶりと水を被っただけかもしれない。
夏が近いとはいえ夜はまだ冷えるというのに、師匠は相変わらずだ。これで元は貴族の出だというのだから、俺よりよほどおかしな人だと思われてきたに違いない。
「ま、おまえが奥方を恋しく思う気持ちもよぉくわかる。あんな美人は都にだって滅多にいないからなァ」
「そういうことじゃありませんよ。いつ例の鬼が現れるのかと考えていただけです」
「陰陽寮が間もなくって言ってんだ、間もなくだろうよ」
師匠の口調が気になり、「本当に陰陽寮の言うことを信じているんですか?」と訊けば「ふふん」と鼻で笑われた。
「俺は昔から自分の勘を一番に信じている。俺が思うに、今夜か明日あたりだろうな」
「勘ですか」
「おまえも感じたんじゃないか? 今朝方現れた鬼どもは、まるで我を忘れたかのように見境なく暴れ回っていた。そのままじゃあ仲間の腹に穴が空くってのにお構いなしだった。あんな暴れ方は、いくら鬼とはいえ尋常じゃない」
「たしかに今朝の鬼はおかしいと思いました」
「あれだけ暴れるってのは、何かしらで追い詰められているってことだ。腹が減っているのか、もしくは大物に脅かされているのか」
「大物、というのは……」
「おまえが言う例の鬼だろうなァ」
師匠の声に、思わず鴉丸をぐっと握り締めた。やはり、あの鬼を退けるまでは何も終わらないのだ。そう思うと、ますます柄を握る手に力が入る。
「そういや水浴びに行ったところで、おもしろい奴を拾ったぞ」
「おもしろい奴?」
「おぉい、こっちだ」
師匠が庭の奥に声をかけた。すでに外は暗くなり、庭の奥は黒一色だ。何も見えないなか目を凝らしていると、暗闇の中から真っ黒な塊が近づいてくる。
なんだと思い、さらに目を凝らして見えたものに俺は驚き声を失った。
「おま、……っ!」
思わず大声を出しそうになり、慌てて口をつぐんた。
(なぜ、ここに!?)
庭の奥から現れたのは狩衣、いや直垂という身軽な格好をした男だった。いや、着ているものなどどうでもいい。それを着て現れたのが金花だということに問題があった。
「ちょっと見ない美形だろう? 暗闇でもお綺麗な顔だとわかるくらいだから、こりゃどこの公達かって驚いたのなんのって」
「わたしは公達ではありませんよ」
「わかってるって。公達がそんな格好して鬼退治の場にいたら、おかしいだろうよ」
公達よりも鬼が鬼退治をする場にいるほうが、よほどおかしい。いや、そんなことを冷静に考えている場合じゃない。なぜ金花がここにいるんだと目を剥いた。
「師匠、その人は……」
「庭の奥で水を被っていたら、ひょいと目の前に現れてなァ。鬼とは何度か遭遇したことがあるとかで、手伝わせてほしいと言われたんだ。まァ、人手はいくらあっても足りないくらいだ、ちょうど例の鬼も現れそうだから手伝ってもらおうと思ってな。それで連れて来たってわけだ」
「手伝うって……」
それでは鬼が鬼退治を手伝うということになってしまう。それより金花が鬼だと知られるほうがよほど危険だ。あの鬼より先に退治されでもしたら……。
まずは金花に真相を尋ねなければ。そのためにも師匠には一旦この場を離れてもらうしかない。
「師匠、着物まで濡れてるじゃないですか。奥で着替えてきてください。いま風邪を引かれでもしたら困ります。あぁ、髪もしっかり拭ってきてくださいよ」
「おー、そうするかぁ。しかしおまえは昔っから細かいなァ。いい奥方になれるぞ。あぁ、もう奥方を頂戴したんだったなァ」
アハハと大きな声で笑いながら師匠が奥のほうへと消えた。気配が遠のいたのを確認した俺は、庭先に立ったままの金花の腕をむんずと掴み物陰へと引っ張る。
「さすがに御所で致すのは問題があるのでは? それに、夜更けには鬼が現れるに違いないとお師匠から聞きましたよ?」
「……っ、おまえという奴は!」
金花の言葉に、久しぶりにカッとなった。こんな状況で、しかも勝手に御所まで来てなお淫らなことを口にするとは、どういうことだ。
「おまえは……! 俺は待っていろと言っただろう!?」
「はい、それは聞きました。でも、屋敷で待てとは言わなかったでしょう?」
「なんだと?」
「だから、わたしはここで待つことにしたのです。あなたの側で待ちます」
「……ッ」
たしかに「屋敷で待て」とは言わなかった。しかし、そんなことは言わなくともわかることだろう。何もこんな危ないところで待つ必要はない。
そう思ってぎろりと睨めば、金花のほうはにこりと微笑み返してきた。
「大丈夫ですよ。お師匠も許可してくれたじゃないですか。決して邪魔はしません」
「しかし、ここには陰陽寮の奴らもいるのだ。鬼だと知られたらどうする!」
「それこそ大丈夫だと思いますよ? だって、あの髭切を持つお師匠が『ここにいてもよい』と言ったのですから」
俺はぐぅと唸ることしかできなかった。
たしかに鬼退治では右に出る者がいない師匠が許可したのであれば、師匠も金花が鬼だとは気づいていないのかもしれない。であれば陰陽寮に気づかれることはないだろう。しかし、絶対に気づかれないという保証はどこにもないのだ。
「ね、大丈夫だと思いますよ? それよりわたしはカラギのほうが心配なのです。あの鬼は何をしてくるかわからない。もしカラギが怪我をしたらと思うと、屋敷でじっとしていることなどできません」
「……っ」
音もなくすぅと近づいた金花の目は、暗闇の中でも黒々と輝きしっとりと濡れていた。その目はたまらなく俺を心配しているのだと訴えているようで、これ以上帰れとは言えなくなってしまう。
心配事は多々あるが、ここで追い返したとしても素直に帰るとは思えない。それどころか勝手に御所のどこかに紛れ込みかねないし、そうなるとますます厄介だ。
「……仕方ない。だが、決して俺から離れるなよ。とくに陰陽寮の奴らがいるときは十分に注意するんだ。いつ鬼だと知られてしまうかわからないからな」
「わかっていますよ」
暗闇でも金花がニィと笑うのが気配でわかった。直後、ぴたりと身を寄せてきた金花が「何をするんだ!」と言いかけた俺の口に柔らかな唇をぎゅうとくっつけてきた。そのままちろりと舌で舐められ、つい受け入れるように口を開けてしまった。
暗闇に包まれた御所の片隅で何をやっているんだと頭ではわかっているのに、くちゅくちゅと濡れた音に気分も体もじわりと熱くなってくる。これではいけない、離れなければ、なんとかそう思い金花の肩をぐっと押し返した。
「……御所にいる間は、こういうことはするな」
口にしたことは本音だったが、気持ちとは裏腹に体は昂ぶってしまっている。身を寄せていた金花には逸物が緩く勃ち上がっていることを悟られてしまっただろう。
なんと情けないことかと思い、顔を見られるのはバツが悪すぎるとふいと横を向いた。
「ふふっ、本当にかわいい方。あなたの邪魔になるようなことは決してしません」
「当然だ」
なおもぶっきらぼうに返事をすれば、またもや金花がふふっと笑った。
「それに、帰ったら逞しいこれをたっぷり味わいたいですからね」
「!」
金花の手がゆっくりと逸物を撫で上げた。たったそれだけで、俺の逸物は喜び勇んで天を向いてしまう。
「おまえは!」
「ふふっ、カラギはどこもかしこもかわいいこと」
慌てて金花から身を離しぎろりと睨んだところで、着替えてさっぱりした師匠が戻ってきた。危うくとんでもない状況を見られるところだったと冷や汗が出る。
再び金花をぎろりと睨みつけるが、効果がないのはいつものことだった。
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