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「そんなに見つめられては、穴が空いてしまいそうですね」  生絹(すずし)で仕立てられた帷子(かたびら)を着た金花は、少し気怠げに見えるものの口調は以前と変わらないくらいにまで回復している。  本人は「もう大丈夫ですよ」と言っているが、俺には鬼の体調を見極めることができない。だから俺自身が大丈夫だと思えるまで起きるなと言い続けていたのだが、昨日から勝手に起き上がるようになってしまった。  それなら本当に大丈夫か自分の目で見て確認するしかない。だから一日のほとんどを金花の観察に費やしているのだが、そんな俺に金花はふふっと笑ってばかりいる。 「わたしはもう大丈夫です。それより、母上様に顔を見せなくてもよいのですか?」 「あちらも、もう起き上がれるようになったと聞いている」 「では、なおのことカラギの顔を見たがっているのでは?」 「昨日、菓子を持って見舞ってきた。毎日見舞わなくてもかまわないだろう」 「おやまぁ」  金花がおもしろいと言わんばかりに、またもやふふっと笑った。  御所に例の鬼が現れたと聞いた母上が倒れたという話は、奥の部屋に金花を寝かせたあとに知った。おそらく鬼に襲われかけたときのことを思い出したのだろう。  心配はしたものの、そのときの俺は金花のことで頭がいっぱいだった。すでに医者が診ていると聞き、それなら心配ないだろうと思った俺は「見舞いは遠慮する」とだけ伝えて金花につきっきりの日々を送った。  静かに眠る美しい顔を見続けること三日、ようやく金花が目を覚ましたときには安堵のあまり少し涙を浮かべてしまった。それを見た金花は「やはり、かわいい方ですね」と言って微笑んだ。それまで寝込んでいたことなど嘘のような美しい笑顔に、俺はこの顔を一生忘れないだろうと密かに思った。  金花が目を覚ましてから、廊下を歩く女房たちの足音が聞こえるようになった。そういえば、勝手に屋敷を抜け出したのをどうやって誤魔化したのだろうか。半日ほどなら何とかなるかもしれないが、一晩二晩と姿が見えなければお付きの女房たちは怪しむはずだ。  そのことを金花に問うと、鬼が恐ろしいから部屋の奥に籠もると言って人払いをしていたと答えた。それでよく誰にも悟られなかったものだと思ったが、普段から女房たちに過剰なほど慕われている金花のことだ、うまく言い含めたのだろう。 「本当に体は大丈夫なのだな?」 「あなたに嘘は言いませんよ。もうすっかりよくなりました」 「…………鬼の王の血のおかげなのか?」  俺の問いかけに「そのようですね」と何事もないように金花が答える。 「おまえは鬼の王の兄弟だったのだな」 「たしかに鬼王と同じ鬼の血が半分流れていますが、わたしもあちらも兄弟だと思ったことはありませんよ」 「兄弟なのにか?」 「以前も話したとおり、わたしは鬼たちにとって下賤で卑しいもの。それは鬼王にとっても同じ、あぁ、少し違いますか。鬼王にとって自分以外の鬼は、すべて気に留める存在ではないのです」 「鬼の王だというのに、己の民が気にならないのか?」 「人の世とは違います。鬼王と呼ばれてはいますが、それは鬼を統べる存在を指すものではありません。鬼王とは鬼の中でもっとも強いものの呼び名、少なくとも鬼王にとってはその程度でしょうね」 「そうなのか……」  それにしては赤い目の鬼は媚びへつらっていたように見えたが、あの圧倒的な気配の前ではどんな鬼もそうなってしまうのかもしれない。 「たしかに、そんな強い鬼の血であれば毒も傷も瞬く間に癒えそうだな」 「それについては少し不満もありますが、それで助かったとなれば感謝するしかありませんね」 「不満? 傷が癒えたのにか?」 「あまりに強い血は薬というより毒なのですよ」 「そういえば鬼の王もそんなことを言っていたか」  鬼の王の「これ以上の俺の血はかえって毒になる」という言葉を思い出す。 「しかしこうして回復したのであれば、毒にはならなかったということだろう?」  俺の言葉に金花が曖昧に笑った。その表情が気になり「何が不満なんだ」と重ねて問いかけた。  これまで俺は金花の鬼の面を知ることを恐れてきた。しかし金花を失うかもしれないと思ったとき、何も知らないままではいられないと考え直した。  金花のことを知らなければ、また失いかねない事態に陥ったときにどうすればよいのかわからない。知らないせいで対処できなくなるかもしれない。そんな状況は何がなんでも避けたかった。 「おまえのことを、もっと知りたいと思っているんだ。そうでなければ、また今回のようなことが起きたとき対処のしようがない」 「……あなたにそう言われてしまっては、答えざるを得ないですね」  困ったようにふぅと小さく息を吐いたが、俺を見る金花の目は穏やかなままだ。 「何を知りたいのですか?」 「鬼の王の血の何が不満だと言うのだ? それに、おまえは血を望んでいないとも言っていただろう。半分とはいえおまえも鬼だ。その、おまえも人を食らわねば生きていけないのではないのか?」 「どうやらわたしは、余計なことを思い出させてしまったみたいですね」  認めはしなかったが、ふわりと微笑む金花の顔を見れば最後の問いへの答えはわかる。 「俺が御所へ向かう日、かすかな違和感を感じた。そのあと鬼退治もあってすぐに忘れてしまったが、ようやく違和感の正体がわかった。……あのときおまえは、鴉丸(からすまる)を素手で触ろうとしなかった。それまで平気で触っていたのにだ。鴉丸(からすまる)に触れなかったのは、何かあったからじゃないのか?」 「カラギは武芸以外も優秀なんですね」  ふふっと笑った金花をぎろりと睨めば、「ちゃんとお話ししますよ」と返された。 「わたしも半分とはいえ鬼、あまりにも長く人を食らわなければ命に関わります。ですが、いつもなら精を頂戴するだけで大丈夫だったのは本当です。なによりあなたの精は強く濃く、妖魔の命も食欲も十分に満たしてくれます。……そう、まだ耐えられるはずだった」  そう言って金花がちらりと視線をやったのは、俺の傍らにある鴉丸(からすまる)だった。 「けれどあの日、……お師匠が現れた日、強烈な退魔の気配に魂が揺さぶられてしまったのです。髭切という太刀は恐ろしい。鴉丸(からすまる)がよちよち歩きの幼な子だとすれば、髭切は胆力みなぎる青年のようなもの。髭切の気配に触れてしまったわたしは、鬼の本性が沸き上がりそうになることに怯え、恐れた」 「それで鴉丸(からすまる)に触れられなかったのか」 「触れてしまえば、ますます鬼の本性が抑えきれなくなると思ったのです。……そんな状態のわたしが強い鬼の血を口にすれば、どうなると思いますか?」  問いかけに、しばらく考えた。  鬼が鬼を食らうと力が強くなると金花は話していた。それは血だけであっても同じなのだろう。半分しか鬼でない金花でもこうして傷が癒え、力がみなぎるのであれば……。 (それはつまり、さらに鬼の部分が強くなるということではないのか?)  自分の考えにハッとした。 「もしや、人を食らいたくなるのか?」 「そのとおりです」  肯定する言葉に頭がぐらりとした。これまでの金花は一見すると鬼らしいところなどなく、屋敷でも問題なく過ごしてきた。しかし人を食らいたくなっているとしたら、これまでのようにはいかなくなる。それに……。 「鬼の王が、血を望まないから傷が癒えないのだと言っていたが、それも本当なのか?」 「ただの切り傷や刺し傷程度なら妖魔の力で癒すこともできますが、鬼にやられた傷は難しいでしょうね」  またもや頭がぐらりと揺れた。都には数多の鬼がいる。赤い目の鬼の脅威が去ったとはいえ、次にいつまたあのような鬼が現れるかわからない。それに鬼の王までもが現れたとなれば、小鬼たちがますます騒ぎ出すだろう。 (それでは、またいつ鬼に傷を負わされるかわからないではないか!)  そして今回のような毒まで負ってしまえば、今度こそ致命傷になりかねないということだ。 「……人を食らえば、どうにかなるのか?」  俺の低い声に何かを感じたのか、金花が「馬鹿なことを考えないでください」と口にした。 「俺にとっては大事なことだ。このままでは、おまえの側にいられなくなるのかもしれないのだぞ? なによりおまえの命がなくなるのではないかと思うと、自分が死ぬよりも恐ろしいのだ」  俺の言葉に静かな眼差しを向けていた金花が、ふっと口元を緩めた。 「ふふっ、本当にかわいい方」 「金花! 俺は真剣に……!」 「わたしも真剣に馬鹿なことはやめてほしいと思っています。それでもなお、わたしを心配してくれるというのなら……」  気怠げに座っていた金花が、すぃと近づいてきた。久しぶりに感じる金花の熱とほのかな伽羅の香りに、ぞくりと背筋が粟立つ。それは間違いなく交わる前の武者震いにも似た感覚で、こんなときにと舌打ちしたくなった。  そんな俺に鼻先がつくほど身を寄せてきた金花が、囁くように「かわいい方」と笑い、言葉を続けた。 「あなたの血を、くださいませんか?」  本来なら恐ろしい内容のはずなのに、俺は胸を高ぶらせ腰をぶるりと震わせていた。
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