第7話

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第7話

「今夜は君にも存分に楽しんでもらいたいから、こういった話題は極力出したくなかったんだが……」  そう切り出した王子の顔つきは、わたしが初めて彼と会ったときのそれに似ていた。  整った顔が、険しく歪む。わたしの表情が一瞬不安に揺らいだのを察してくれたのだろう。「残念ながら、そうも言っていられないんだ」と、彼は努めて微笑みながら二の句を継いだ。 「先日の件……あれはおそらく故意によるものだ」 「……やっぱり事故じゃなかったんですね」 「君も気づいていたか。資材を縛って固定していたはずの頑丈な紐が、刃物のようなもので切られていたらしい」  極秘裏に調査をさせた結果が先ほど部下から上がってきたと、彼は言った。公にするかどうか、迷っていると。  先日の公園での一件。王太子が怪我を負うという、ともすれば国じゅうを揺るがしかねない惨事に、あろうことか事件性が認められてしまった。  これまで口にはしていなかったが、わたし自身も、資材を故意に崩したであろう誰かの存在を疑っていた。頑丈な紐でしっかりと固定してあったのは、ちゃんとこの目で確認している。  ちゃんと気づいている。真の標的も。 「狙われたのは、わたし……ですよね?」  あのとき、王子はわたしから少し離れたところを歩いていた。異変に気づき、わたしを助けるためにわざわざ引き返して負傷したのだ。 「正確にはエルレイン、だな。君に問うたところで仕方がないと承知であえて問うが……何か心当たりはあるか?」 「……心当たりはありませんが、大なり小なりたくさん恨みを買っているということだけは、なんとなくわかります」 「……悲しいが、同感だな。彼女は良くも悪くも目立っていたから」  ふたり揃ってため息をつく。  誰もがうらやむ美貌。王太子の婚約者という高い地位。思ったことを臆せず発言する性格に加え、気に入らない相手にはほぼ間違いなく噛みついている。言い負かされたり、やられっぱなしで事を終わらせているとは、とうてい考えにくい。  あの日のドナ嬢の態度が、その最たる例なのだろう。 「今日ここに集まっている中に加担している者がいないとも限らない。警備は強化しているが、なるべく俺のそばから離れないように」 「……はい」  慰めるように、解きほぐすように、彼の手が背中に当てられる。——あたたかい。  おかしな話かもしれないが、自分に対する敵意は怖くない。そのせいで罵倒されたり、怪我を負わされたとしても。  ただ、この人を巻き込んでしまうかもしれないことが、何より怖かった。  強くなりたい。  この人の婚約者として、相応しい自分になりたい。  この人の〝妻〟として、胸を張って立てる自分に。 「やっと見つけた!」  突如、わたしたちの前にひとりの女性が現れた。  スタイル抜群。二十代半ばだろうか。頭上のシャンデリアにも劣らない顔面の、きらきら超絶美女だ。勢いに押され、思わず半歩下がってしまう。  絹糸のようにつややかな金髪。宝石のような紫色の双眸。はじめましてだが、おそらく間違いない。 「大人しくしていてください、姉上。お体に障りますよ」  王子の実姉——アメリア様だ。 「はいはいお言葉痛み入ります。……っていうか、こんな隅っこで何してるのよ。あなたたち、一応今をときめく主役のふたりでしょ? もっと目立たなきゃだめじゃない」  生まれ持ったロイヤル感を前面に押し出し、グイグイ迫ってくる。  距離が近い。圧が強い。そしてとにかく破茶滅茶に美人だ。 「ふたりで少し休憩していたんです」 「あら、そうなの? こんな地味な場所で?」 「……」 「もしかして邪魔しちゃった?」 「……義兄上(あにうえ)は?」 「あの人なら、向こうでシナリク伯爵と話してるわ」  はっきりと見える。悪意なきプレッシャー。珍しく王子が押され気味だ。  からっと晴れた秋空のような人だな、なんて感心していると、ぱっと向き直った彼女に声をかけられた。 「久しぶりね、エルレイン。この前はありがとう。おかげですっかり良くなったわ」 「あっ、と、とんでもございません。良かったです、大事に至らなくて。……引き続き、どうかご無理なさいませんよう」  ビロードで仕立てたワインレッドのロングドレス、その腹部が、膨らみ丸みを帯びている。妊娠五、六ヶ月といったところか。  医学用語ではないが、いわゆる〝安定期〟に入ったとはいえ、油断は禁物だ。貧血をはじめとする、あらゆるリスクは、常にある。 「……エルレイン。あなた、なんだか雰囲気変わったわね」 「!?」  ずいっと、アメリア様の顔が押し寄せてきた。  きらめく紫目(しめ)。王子と同じ輝きを放つその目で、「今日のメイクの趣味は合うみたい」と、まじまじと見つめてくる。 「ほら、姉上。義兄上がお待ちですよ。あちらに椅子を用意させますので、ごゆっくりなさってください」 「ああん、なによディアミド! もう少し未来の妹と話をさせてくれてもいいんじゃないっ?」 「たしかカヌレお好きでしたよね? もう召し上がりましたか?」 「えっ、まだ食べてない! 食べたいっ!」  以前紹介してくれたタルトといい、アメリア様はスイーツに目がないようだ。王子に連れられ、うきうきしながら、デザートの並ぶテーブルのほうへと歩いていった。  振り返った王子に「大丈夫ですよ」と笑顔で小さく手を振る。申し訳なさそうにぎゅっと目を瞑った彼の顔には「すぐ戻る!」と太字で書いてあった。 「仲いいなあ……」  並んで歩く姉弟の姿に、憧れと一抹の寂しさをおぼえる。ひとりっ子で育った自分には、どんなに願っても叶わなかった光景だ。  そういえば、と思案する。  そういえば、エルレインもひとりっ子だった。  病弱だったエルレインの母親は、エルレインを産んですぐに亡くなったと聞いている。以来伯爵は、あまたの縁談を断り、独身を貫いて、エルレインを育ててきたのだと。  これまであまり余裕がなく後回しになっていたけれど、わたしは伯爵ともちゃんと向き合わなければいけない。エルレインという名前で生きていくことは、彼の娘として生きていくということ。王室へ嫁いだとしても、その事実が変わることはないのだから。 「……おなか空いたかも」  時間の経過とともに徐々に緊張が緩和され、かすかにおぼえた空腹感。せっかくだし何か食べよう。そう思い、近くのテーブルへ移動した。  そのとき。 「あら、エルレイン。ひとり寂しくお食事?」  聞いたことのある声に呼びかけられた。が、声の主の顔よりも先に、目はその服装を追いかけてしまう。  明るく発色のいい緑色のドレスに金色の靴。全身にラメを散りばめたゴージャスな装いは、ある意味この場で一番目立っているかもしれない。  わたしにとって二度目ましての、ドナ・ミュイラー伯爵令嬢だ。 「かわいそうに。ついに彼に愛想を尽かされてしまったのかしら」  彼女が喋るたび、頭に乗せた金のリボンが大きく揺れる。勝手な想像でわたしの現状を予想し、ひとりふむふむと納得している。  口を開けばいちいち鼻につく物言いだが、言い返す気にも、冷たくあしらう気にもなれなかった。どうにか相手の気を引き、どうにか張り合おうと頑張っている様子が、ありありと見て取れる。「若いな……」というのが、社会に揉まれてくたびれた二十五歳の率直な感想だ。 「ちょっと! 聞いてるのっ!」 「……へ?」  いったい今のどこの何がスイッチになったというのか。急に声が大きくなったドナ嬢に対し、つい素っ頓狂な返事をかえしてしまった。  顔が赤い。興奮しているようだ。  推測でしかないが、たぶん、エルレインなら、彼女のひとこと目でリアクションしていたのだろう。言い返すか、軽くあしらうか……いずれにせよ、なかなか思うように反応・反発しないわたしに対し、彼女はいらだちを感じているのかもしれない。 「なんとか言ったらどうなの!?」 「……そう、言われても」  やっぱりリアクションが欲しかったのか。  ヒートアップしている人に嫌われている相手が何を言っても火に油を注ぐようなもの。申し訳ないけれど、同じ土俵に立つことはできない。 「寝込んでいるあいだにずいぶん腑抜けたんじゃなくて? ディアミド様もおかわいそうに。腑抜けたあなたを庇って、あーんなお怪我までされて」  だが、この発言を聞き流すことは、さすがにできなかった。 「……今なんて?」 「な……なによ」 「どうして知ってるの? 殿下がわたしを庇って怪我したこと」 「……は? 何言ってるの? 腕を怪我されたんでしょう? 手当てされてるって……」 「いつの話してるの? 今だったらしてないわよ。もう治ってるもの。……それにその言い方、自分で見たんじゃなくて、誰かから聞いたのね」  あの日。資材が倒れてくるよりもかなり前に、彼女はわたしたちの前から立ち去っている。仮にあの現場を目撃していたとして、彼女の性格をかんがみるに、王子の前でわたしを直接非難するくらいのことはするはずだ。あとから聞いて知ったとしても、今の今まで黙っているのは不自然極まりない。  それに、あの一瞬だけを切り取って、はたして〝わたしを庇った〟と認識できるだろうか。  ふつふつと、静かな怒りが沸き上がる。 「あなたがやったの?」 「ち、違うわ! わたくしはやってない! さっきあなた言ったじゃない、誰かから聞いたって……そう! 聞いたのよっ!」 「誰から?」 「だ、誰って……誰でもいいでしょっ!」 「いいわけないでしょう? 子どものケンカじゃないのよ。殿下が怪我したの。一歩間違えれば命に関わってた。……殿下だけじゃない。安全に万全を期してあの公園で作業している人たちの誇りまで踏みにじったのよあなたは」 「……っ、わ、わたくしじゃない……わたくしじゃ……」 「じゃあ誰が……っ」 「……わたくしじゃない……わたくしは悪くない……」 「ちょっ……いい加減に——」 「あんたが悪いのよっ!!」  ドナの癇声が室内に響き渡った、次の瞬間。 「!!」  わたしのドレスに、真っ赤な飛沫(しぶき)が飛び散った。
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