17人が本棚に入れています
本棚に追加
Play me your passion
「なんでそんな布面積の多い服着て来たんだ、暑くないのか」
「罰当たり市長とは言え、街の顔の人と一緒に過ごすんだから」と祖母が大騒ぎしてキャリーケースに詰めた服は全て普段職場で着ているものばかり。かと言ってクローゼットの中の衣装は、高校生の頃から何も変わっていない。絶望の果てに袖を通した一張羅は、ひとえにハリーを少しでも喜ばせようと思っての選択だった。
以前彼が贈ってくれたスーツは黒に近いダークグレー、まだ寒さが残りがちな春のイーリングで身につけているには問題ない。だがポルトガルの灼熱の大地では、陽光という陽光を吸い込み、さながらサウナスーツだった。
いや、己の出立ちなどどうでもいい。ファッションセンスなんてものは端から持ち合わせない。それよりもタクシーが停まるや否や、古い農家風の木製をした門扉まで迎えに来たハリーを目にして、思わずモーは絶句した。立ち直り、からからに干上がった喉から声を絞り出せたのは、荷物を置こうと寝室へ案内される道行きの事だった。
「布面積が少な過ぎません?」
「なに?」
羽織った涼やかな麻の襟付きシャツの下、ハリーが身につけているのは水着のみ。水着だ、それは構わない。例え競泳用かと見紛う、ぴっちりしたブリーフ型のデザインであっても、水着はあくまで水着。
「ああ、これか」
しれっとした顔で、ハリーは肩を竦めた。
「ここまで思った通りの反応を返してくれると、嬉しいよ」
君、好きだろう? そう嘯きながら、くるりと後ろを向いて、キャリーケースを置こうと僅かに前屈みの姿勢を取る。豊満な、市庁舎で男達へ愛されるようになってから明らかに肉付きが良くなった尻は、オレンジに色とりどりのストライプが入った布を突き破りそうだし、何なら幾らかはみ出している。
頭はカッカと熱を持っているのに、血液が過剰分泌されて、違う場所へも巡っている心持ち。ぼんやりと、ひたむきに眺めている秘書を振り返り、ハリーは片眉を吊り上げてみせた。
「僕のばかり見るのは不公平だろう。さあ、着替えた着替えた」
と言うわけで、10年程前に買ったバミューダパンツ、サングラスとビーチサンダルなんて情けない姿でプールサイドへ出て、デッキチェアに寝そべること30分。ハリーは、バドワイザーを一缶飲むまでの間だけ待ってくれた。
どきどきする心臓が、アルコールによるものだと思い込めそうになった矢先、身体に跨られる。布張りの座面が大きく撓み、木製の枠が泣くような軋みを上げた。
「待って下さい、ハリー」
「こんな所まで来て遠慮は無しだ」
サングラスを毟り取られるが早く、返す手で布越しに股間を掴まれる。思わず上げた呻き声に、ハリーは軽やかな笑い声を立てた。折り重なるように倒れ込んできた肉体はうっすら汗ばみ、肌がこちらの身体へ吸い付くかのようだった。
「うん、職務熱心で偉いな、モー。禁欲してたんだろう、ゴーディから聞いたぞ」
あの野郎、戻ったら一番に張り倒してやる。
いや、帰国してからの事を考えるなんて勿体無い。今は目の前のことに集中しよう。
見下ろすハリーは額に掛かる髪を掻き上げ、上機嫌なキスを一つ唇に落とす。「会いたかった」そう囁く呼気はさながら火のよう。モーも黙って、ぐいと彼の後頭部に手を当て、引き寄せた。
繰り返される短いキスは、茹だっていた頭を逆に冷静へ導く。横目で辺りへ視線を走らせ、思わず溜息をついた。
「いい場所ですね」
「うん? ……ああ、そうだろう」
唾液を手の甲で拭いながら、ハリーも光る水面に目を細めた。
「まるで秘密の花園みたいだ」
確かに、ここはプライバシーを守るにうってつけの楽園だった。寝室に面したプールサイドは白いタイルが敷き詰められ、太陽を眩しいほどに反射している。テラコッタで錨や海藻など、様々な模様を象ったレリーフで彩られる回廊と、深い木立があるから、四角いプールで幾らはしゃごうと、誰の邪魔も入らない。
「いっそ買い取りたい」
「誘拐が多発してると聞きましたが」
「アメリカの田舎の市長を誘拐して何の得があるんだ。身代金も碌に出ないぞ」
「ありますよ」
いつもそうなのだが、ハリーは自ら果敢に攻め立てる癖、相手が反応を返して来たら驚く。今もぐっと腰に腕を回し、股間同士を押し付ければ、はっとなって顔を上げた。胸毛に潜り込ませる格好の指は弱々しく、不本意な征服欲が湧き上がる。
「あなたはハンサムだから、攫われたら大変なことになる。同性愛者なアラブの石油王のハレムに閉じ込められるかも」
「常々思ってたんだが、君は案外想像力が逞しいな」
くるりと体勢を入れ替えさせられ、ハリーは浅い息を吐いた。燦々と照り付ける太陽に晒されていた身体は、大柄な男へ覆い被さられることにより、少しは涼を得たのだろう。従順にモーの背中へ回した左手と裏腹、右手はくっきりした筋肉の隆起が見える腹を滑っていく。親指を水着の履き口に引っ掛け、誇示せずとも、彼の性器が既に緩く兆していることは一目瞭然だった。
「でも、攫われたところで、君が助けに来てくれるだろう」
重ねられたモーの脚に己の脚を絡めながら、ハリーはふふっとご機嫌な含み笑いを上目に乗せる。
「誘拐犯も、石油王も、あなたへ危害を加えた奴らは皆殺しにします」
「石油王はやめておけ。示談金をがっぽり搾り取りたい」
利口なハリー・ハーロウ。だがこの時だけは、すっかり知性も理性も溶け出して、抱きしめる男の腕の中で身を悶えさせた。いきなり深い口付けを与えられると、まるで対抗するように腰を浮かせ、身を押し付けてくる──ごりっと固い感触がぶつかり合うことでようやく、己も興奮の坩堝へ爪先立っているのだと思い知らされたのだから、何とも間の抜けた話ではないか。
「ん……君が我慢してると、聞いたから、僕もこの一週間、何もしなかったんだ……マスターベーションすら」
もどかしい刺激に、うっとりと目を細めながらこなされる舌なめずりに、欲情させられない人間などこの世にいるのだろうか。
「朝も昼も夜も愉しもう」
「それも素晴らしいですが、今夜にでもエルがお勧めしてくれたレストランに行きませんか。蛸のカタプラーナ(打ち出し鍋蒸し)が名物だそうです」
「蛸だって? ゾッとしないな」
ぎしぎしとデッキチェアの立てる音が大きくなる。ぺろりと犬のように頬を舐め、塩辛いと笑いながら、ハリーはのし掛かる腰の上で足を交差させた。
「僕の為に、色々考えてくれたんだな」
「ええ。貴方が休暇を満喫出来るように」
「君は優しいよ。大丈夫、僕を喜ばせるには、ただ一つのことだけでいい」
する、とずらされるのを待ち構えていたかの如く、彼の屹立は小さな布から零れ出る。己の腹に熱い粘膜が擦り付けられ、先走りが煮えるような温度で模様を描くのを、モーは心臓を鷲掴みにされたかと思う程の昂りで受け入れた。
「モー、君は僕のことを愛してる?」
「ええ、勿論です」
幾ら伸縮性のある素材とは言え、既に膨れ上がった欲で水着の中はぎゅうぎゅう詰めになっている。そこへクロッチ脇から滑り込ませた指が増えれば、窮屈が過ぎて痛みを覚える程だろう。だが蒸れた肌肉を掻き分け、アナルの縁に触れた時、ハリーが目を閉じて眉根を寄せたのは、明らかに食い込む苦痛が原因ではない。
「愛してます、ハリー。この世の誰よりも、あなたは素晴らしい。例えあなたが誰のものにならなくても、俺はあなたの側にいます」
先程ビールを流し込んだばかりだと言うのに、もう喉が乾いている。噴き出す玉の汗へやたらと意識を惹かれ、モーはハリーのこめかみに唇を寄せた。塩辛い。これでおあいこだ。
「なあ、モー。早く、頼むから……」
辿々しい言葉付きで繰り返されるプリーズは、本来は上司である人間に言わせるべき台詞ではない。だからモーは、さながらペニスで掘削するように、まさぐる手の動きを大きなものに変えた。既に準備され綻んでいる窄まりに指を嵌め込み、突き上げるようなストロークを繰り返す。徐々にずり上がる身体は、その度に腰を掴む反対の手で引き戻され、より深い場所へ異物を飲み込む羽目になった。
「あ、あぁっ、まずい、きもち……」
デッキチェアの枠を握りしめる手の力強さが、快楽の度合いを表明する。背筋を綺麗に仰け反らせ、ハリーは短い息の合間にひたすら「気持ちいい」を繰り返した。
彼が喜んでいると自分も嬉しい。寧ろこれこそ至高だ。己も息を乱しながら、モーは拡張を続けた。もうそろそろこちらも準備万端。ペニスはゆったりしたバミューダパンツの前立てを突き破りそうになっている。
「ハリー、良いですね?」
相手が息を詰めることなどお構いなしに固く抱き竦め、そのままモーはもどかしさも露わに己の水着へ手を掛けた。
まず最初に、座面に張られた化繊がぶちぶちと留金の所から破れ、がくんと落下する感覚。すぐさま脆弱な木枠もへし折れた。わっと上がった素っ頓狂な悲鳴を組み合わせれば、悲劇は喜劇に変わる。
咄嗟に体を抱え込み、身を捻ったから、ハリーが身体を打ちつけることは避けられた。それだけ達成できたら十分だ。
モー自身、別に大事へは至らなかった。肩に走った激痛は骨折でも椅子の骨組みが刺さった訳でもない。身を跳ね起こし、背中を覗き込んだハリーの青褪めは、幾ら何でも大袈裟過ぎる。
「おい、酷い火傷だ、水膨れが出来るぞ」
「平気ですよ、これ位、唾でも付けておけば……」
「馬鹿なこと言うな! ああ、こんな真っ赤になって」
こちらは生娘では無いし、既に軍生活で体のあちこちに傷跡など山と残っている。だが滅多に見せられない狼狽えは、容易くこちらへ伝染した。
「本当に済まない……ちょっと待ってろ、救急箱を持ってくるから」
「ハリー、市長、本当に大丈夫ですから」
椅子の残骸に座り込むハリーの肩に手を伸ばせば、まるで怯えたように顔を背け、俯いてしまう。
「僕のせいで、君が怪我をした」
そんなことが嫌だなんて。
こんなにも嫌がるなんて。
同僚達は事あるごとに冗談を交えて言い聞かせる。だがいざとなって、本当に危険がその身へ迫った時、ハリーを守る役目を担っているのは、間違いなく己だった。終わりなど見えないISISとの戦いからさっさと抜け出し名誉除隊した、ブラインドタッチもまともに出来ない男が市長室付の秘書を任されているのは、事務処理能力を買われてのことではない。
海兵隊のモットーは「常に忠誠を」だ。なのにモーは、もしも己が本当に職務を全うした場合、目の前の男が取り返しのつかない程悲しむと、この期に及んで理解した。胸が締め付けられるような、逃げ出したいような、ありとあらゆる感情が頭の中をぐるぐる、ぐるぐると渦巻く。
やっとのことでこちらを向いてくれたエメラルドの瞳は、痛みを堪えるのに精一杯。だが口など開かなくても、十分に雄弁なのだ。きらきら織り込まれる、砕け散った星のような輝き、目が眩みそうだった。
「せめて冷やすだけでもしておかないと」
「ええ、そう、ええ、冷やしておけば十分です」
そのまま弾かれたような勢いで立ち上がり、踵を返して走り出した秘書を、ハリーはまん丸く剥いた目でのみ追う。「馬鹿、やめろモー」と声が張り上げられた頃、既にモーはプールの中へ飛び込んでいた。
乾いた身体が水の中へ沈み込んだ時、肩口へぴりっとした刺激が走ったから、火傷を負ったのは間違いないのだろう。だがこんなもの、文字通り痛くも痒くもない。慌てるのはやはりハリーだけで、自らもプールに躍り入り、ざぶざぶ水を掻き分けてくる。
「馬鹿、君は大馬鹿だ……! 全く、そんないつでも斜め上の発想で行動して、調子が狂う」
「すみません……」
「もう謝らなくていい、ぶきっちょめ」
腕を掴む手は、案外強い力で体を引っ張り上げた。普段はこの家を取り囲む樹木のように、謎を背後へ巧みに隠したエメラルドの瞳は、感情を露わにしている。込み上げるものに促されるまま、モーは男の体を自らの胸へ引き寄せた。
抱擁の最中、背中に回された手は、おそらく赤みが残っているだろう名誉の負傷へ触りたくてうずうずしている。俺は誰かと違って被虐の趣味はありませんよと、冗句を叩こうとしたモーの唇で、淡い息が弾けた。
「僕が作らせた傷……僕の為に出来た傷……」
先程の恐慌など嘘のように、そう恍惚と囁かれれば、少々の痛みなど。より深くなる接吻を受け止めながら、モーは濡れた身体を一層強く掻き抱いた。
最初のコメントを投稿しよう!