43人が本棚に入れています
本棚に追加
その一 おやおや、早くも薬水の出番のようですね?
我行日夜向紅海
楓葉蘆花秋興長
平淮忽迷天遠近
青山久與船低昂
「いい詩ですね。思阿さんが作ったのですか?」
「とんでもない! 蘇軾という大詩人の『出潁口初見淮山是日至壽州』という詩の一節です。季節は違いますが、船旅の気分に相通ずるものがあるなぁと思いまして、つい口ずさんでしまいました――」
ふうん……。いちおう、詩の教養はあるのね。詩人の修行中というのは、嘘ではないのかも――。でも、有名な詩人の詩なら、誰もが知っていて当然なのかもしれないし――。
「そう言えば、春霞楼での詩の教示、たった一回で終わってしまって残念でしたね」
「フフフ……、ご期待に添えなかったようですから、しかたありません。俺は、旅の詩や酒の詩が好きなのですが、芸妓たちからは、『愛する人を想う』とか『辛い別れを嘆く』とか、そういう詩はないのかときかれまして――。『あるかもしれないが、知らない』と言ったら、『もう来なくていいです』と断られました!」
「それは……、なんとも……、お気の毒なことでしたね」
思阿さんは、照れくさそうに笑いながら、頭を掻いている。
大きな体でそんなふうにすると、本当に愛敬があるのよね。ちょっと可愛いなあ……。
えっ? やだ! もう、雅文がおかしなことを言うから!
「へぇ? お兄さんは、詩人なんですか?」
舟の艪を操っている少年が、私たちの会話を耳にして声をかけてきた。
わたしたちは、河の船着き場で、そこまで乗ってきた大きな船を下りた。
次の目的地である層林という里まで、陸路で進もうと足ごしらえをしていたところ、この少年に出会った。
少年は、志勇と名乗った。
志勇は、水路を使って、層林から船着き場まで小舟で人を運んできたという。
帰りは、層林へ運ぶように頼まれた荷物をいくつか積んで行くが、二人ぐらいなら大丈夫だから、小舟に乗っていかないかと誘ってきた。
「一人につき、銅銭三枚」という料金で、交渉成立!
わたしたちは、歩かずに、彼の小舟で層林へ行けることになったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!