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「う、うう……、……あ、ああぁ……」
忠良さんの体から力が抜け、呻き声が静かな溜息に変わった。
きらきらした靄のようなものが、口からだけでなく体中の傷口と思われる場所からも溢れ、忠良さんの全身を覆った。
それは、天蚕の繭のように優しく光りながら、傷ついた体を幾重にも包んだ。
「老師! こ、これは、いったい……」
「し、静かに! 昭羽、しっかり見ておくのだ。一つとして見逃してはならんぞ!」
「は、はい……」
いつの間にか部屋に入って来ていた呂老師は、思わず声を上げた昭羽に、低く厳かな声で命じた。
その間も忠良さんの変化は続き、半時もたつ頃にはほとんどの傷が消えていた。
◇ ◇ ◇
わたしは、天空花園を見下ろす小高い丘の上にいる。
あの人と二人、背中合わせで座っている。
あの人の背中は広くて温かだから、遠慮無く体を預けられる。
あの人が、涼やかな声で、わたしの好きな詩を詠んでいる。
方岳という詩人の『春思』という詩だ。
春風多可太忙生
長共花邊柳外行
與燕作泥蜂醸密
纔吹小雨又須晴
―― この詩に詠まれた忙しく動き回る春風は、まるで深緑のようだね!
あの人がそう言って、楽しそうに笑った。
笑い声と一緒に、小刻みに背中が揺れる。
だめですよ、そんなに揺らしたら! わたし、一生懸命がまんしているのに――。
―― グルギュルグル……ギュルウウウーンッ……。
◇ ◇ ◇
「深緑さん! 深緑さん!」
「目を覚ますよりも先に、腹の方が起きたようだ! 面白い娘だのう!」
ん? ええっと、友德様と……、老師の声……?
あ、そうか……、わたしは、呂老師の家で、忠良さんに快癒水を飲ませて……。
わたしは、ガバッと起き上がった。
「す、すみません! こ、こんなときに居眠りなんかしてしまって! あ、あの、忠良さんは、どうなりましたでしょうか?」
長椅子に座っているわたしを見下ろしながら、二人は同時ににっこりと笑った。
えっ? 何だか、笑顔がそっくりな気がするのですが……。
「すっかりよくなりましたよ。今は、昭羽が作った薄い粥を、美味しそうに食べています。それに、薬水を口に含んだだけのわたしの体にも薬効がありましたよ。荷車を引いたり、ここまで走ってきたりして感じていた疲れが、どういうわけか消えてしまいました」
「深緑さん、ありがとうございました。忠良は、すっかりよくなりました。あなたこそ大丈夫ですかな? 忠良の枕元で、突然倒れたのでびっくりしました。どうやら寝てしまったようなので、わたしと友德とで、ここへ運びました」
「ご迷惑をかけました。薬水の効果を、きちんと見届けないといけなかったのに――」
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