海辺のホテル

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海辺のホテル

 私はホテルで朝食をとっていた。ここはインド有数の貿易都市でも最高級の施設で、窓の外には浜辺の景色が広がっている。ただ私を含めた誰もが窓に背を向けていた。黒ずんだ砂に茶褐色の海水が打ち寄せる光景は、すこしも食欲増進には役立たないからだ。  沖合には遺跡の島が浮かんでいた。半人半神の石像や、ふた抱えもある大理石の柱など、見どころが多い島だ。一時間ごとに観光客を乗せたフェリーが往来していて、私も十年前に一度だけ渡ったことがある。以来、目に焼き付いて離れない光景があった。  短い往路で、青いドレスのエキゾチックな美女が、舳先(へさき)で砕けた波しぶき降る甲板に立っていた。思わず見惚れてしまい、声を掛けることは出来なかった。見れば彼女の手に、青いベルベットの指輪ケースが握られていた。おそらく彼氏からの贈り物だったろう。  私が黙って眺めるうちに、女は腕を後ろに引いた。そうして腕の振りも素早く、海へ向かって放り投げてしまった。箱は見事な放物線を描き、遠く海面で飛沫が上がった。  私は(しび)れたように甲板に立ち尽くしていた。彼女はそんな私を肩で脇にどかして、船室へ戻っていった。ただそれだけの思い出だ。
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