夢の楽園

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夢の楽園

 視界の端で何かが揺れている。気付けば、隣のテーブルで男がこちらに手を振っていた。 「おはよう。海ばかり見て、何かあるのか」  褐色の肌を持つ陽気なマレーシア人とは、昨日知り合ったばかりだ。朝食後にコーヒーを飲んでいると、「日本人か」と声を掛けられたので、「そうだ」と答え、会話をした。彼は米航空機メーカー専属の整備士で、日本の航空会社に納入した発動機(エンジン)を点検するため、ナゴヤに来たこともあると言っていた。 「で? 興味深い何かを発見できたかい」  私は首を横に振った。だが急に気が変って、「今のところは、まだ」と小声で付け足した。 「待つだけ無駄だ。ここはインドだぜ」  整備士は、ここの海が世界一汚い、と言う。 「モルディブとは違ってね」  そういえば昨日、「ここでの仕事を終えたらモルディブに行く」と、聞いた気がする。 「あそこの海は美しいんだ。たとえば……」  彼は皿からロールパンを取り上げた。 「これを持って海へ行けば、色とりどりの熱帯魚が、ひと口ついばもうと群がってくる」  モルディブは世界屈指のリゾート地、南海の楽園だ。私は、さもありなんと頷いた。 「それに引き換え、この土地はてんでだめだ。たとえば俺がパンを持って、そこの砂浜を歩いて海へ向かうとする。何が起こると思う」  私は大げさな動作で肩をすくめた。 「何だろう。もったいぶらずに話してくれよ」 「ここらの痩せた子どもたちが、次から次へと群がってくるよ。そして海にたどり着くよりかなり手前で、パンが無くなっちまう」  私は衆目を浴びない程度の笑い声を立てた。 「どちらにしろ、この海に魚がいるとは思えないね。仮にいたとしても食えやしないさ」 「夕方には到着だ。待っていろよモルディブ」 「出張から、そのまま休暇だっけ。何日間?」 「一週間! 青い海、白い砂浜。楽しみだ」  私は、「うらやましいね」と心からの感想を述べた。日本の企業なら、出張後そのままリゾート休暇突入は許してくれないだろう。  満面の笑みを浮かべる整備士の背後でカモメが一羽、窓を横切った。
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