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賢竜、アギュラディアス
「アギュラディアス?」
それが……君の名前。
信じられない。
ドラゴンが僕に語りかけてきている。
かみ砕かず、舌で身体を舐めながら、ゆっくりと。無数の牙は身体に刺さっているけれど、内臓や心臓に達していない。
手加減している……きっとこれでも「甘噛み」なのだろう。
伝説のドラゴンが本当にいただけでも凄いのに、話しかけてくるなんて!
絵本のおとぎ話を思い出す。
――百年の永きに渡る、邪悪な魔法使いたちの魔竜戦争。
ドラゴンが宿す魔法の力は、人間の魔法使いによって利用された。
邪悪な魔法使いの魔力源や、魔法兵器として使役され、使い捨てられた。
操られたドラゴンたちは我を忘れ、人を食らう邪悪で凶暴な魔獣と化した。
やがて戦乱の果てに沢山の竜が死に、ほとんど滅んだ。でもわずかな竜はいまもどこかで生きていって……。
アギュラディアスはきっと生き残りの竜なんだ。
人みたいに話すし僕を……食べない?
『――ふぅむ? なかなか頭の回転のはやい少年のようじゃ』
「か、考えが読めるの?」
『――噛んでおるからのぅ。血を通じて……わかる』
「な、なるほど……痛てて」
『――おっとすまぬ、ワシとしたことが』
「……食べるの? 僕を」
でも食べる気なのだろうか?
気まぐれで味わってるだけ?
どっちなんだろう。
『――ウム、じつのところ悩んでおる……。本能は人間の血肉を喰らいたいと叫んでいるが、ワシの知恵と理性がそれを許さぬ……』
「迷ってる……んだね」
『――禁忌とされる人間の血、それも少年の血肉のなんたる甘美なこと……! 全身に満ちてくる滋養! このまま飲み込めたらさぞや……いやいやイカン』
まるで自分と戦っているみたいだ。
そしてこの状況。
まるで牢屋か檻のなか。
アギュラディアスは囚われの身なんだ。
「僕に……なにか出来ることがあるかも。でも食べたらおしまいだよ……」
『――ヌ』
「何かに困ってるんでしょ」
『――困って……おる。ワシはここにいつからか囚われておる』
「やっぱり……」
『――ヌシを食うのはよそう。高潔なるワシの魂が汚れ……先祖に申し訳が立たぬ。実に口惜しいが……』
アギュラディアスの声は圧し殺したようになり、我慢しているのがわかった。
低い唸り声とともに、ゆっくりと僕を地上へと下ろす。
「わ……!」
べしゃっ、と湿った音がして、冷たい床に滑り落ちた。
大量のヨダレと血の混じった粘液のなかで、僕は起き上がることもきなかった。
噛みつかれていたせいもあるけれど、全身が血だらけでボロボロだ。
「あり……がとう」
なんとか声を絞り出す。
ドラゴンと話せる。
とんでもない状況だけど、好奇心が僕をつき動かしていた。
瞳を被う薄膜が素早く動いた。
ドラゴンの瞳には、先ほどとは明らかに違う知性と、星の煌めきをおもわせる光が宿っていた。
『――美味なる少年よ、ヌシ血を舐めたおかげで目が覚めた。ワシ本来の知恵と知性……なんとか保つことができたようじゃ』
再び顔を近づけると、デロンと生温かい舌が僕の腹をなめた。
ドラゴンのザラザラとした舌がでろんと身体中を這い回る。
「ちょっ……! やめ、どこ舐めてんの!?」
ジュルッという音と共に、巨大な一抱えもある大きな舌がヘソやお腹、下半身あたりを舐めまわす。ヌルヌルして熱くい舌が、下腹部と腹をしつこく行き来する。
「きゃはは……!? やめっひゃはは!」
人間、痛いときにも「くすぐったい」と感じるらしい。痛みも忘れ、必死に身をよじってしまう。
『――ウウム、丸呑みしたいところじゃが、嘗めるだけでもなかかな……美味じゃのぅ』
「なんなの!? 食べるの食べないのどっち!?」
猫がネズミを弄んでいるみたい。
僕は地面の上で転げ回りながら、必死に抗議の叫びをあげた。
舌が止まったので睨みつける。辱めをうけるくらいなら、いっそ死んだほうがマシなんだよっ。
『――おっとすまぬ、ヌシの血はあまりにも美味じゃ……。しばらく何も食っておらぬのでのぅ』
ゴギュルルとドラゴンのお腹が鳴った。
「えぇ……?」
ほんとうに空腹なんだ。
よっぽど我慢しているのかも。
舌が名残惜しそうに離れ、ドラゴンの首がずっと高いところから僕を見下ろした。
「……あれ?」
身体を起こして気がついた。
血が止まっている。
それに痛みも消えた……!?
はっとして胸や腹を触ってみると唾液と血でベトベトだけど、痛みも傷も嘘のように消えていた。牙で噛みつかれたはずの痕さえも無くなっている。
『――驚いたかのぅ? ワシの体液には魔力が……傷を癒す力があるのじゃ』
「すごい傷が治ってる……!」
まるで魔法だ。
伝説のドラゴンは凄い魔力を持っていたって……つまりこれが本物の「魔法」なんだ!
凄い、こんなことが出来るなんて。
「本に書いてあったとおりだ!」
立ち上がることもできた。手足も自由に動くし骨も折れていない。ちょっと全身ヌルヌルして気持ち悪いけれど。
「って、裸!? 服……服はっ!」
気がつくと僕は全裸だった。思わず前を両手で前を隠して前かがみになる。
『――ガハハ、エサとして放り込まれたのじゃからな。当然じゃろう』
「わ、笑うなぁ!」
あれ?
竜が……笑ってる?
<つづく>
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