動き出した時間

4/6
前へ
/131ページ
次へ
以前と違うのは、離れたくないという気持ちに変化したことだ。前はいつ逃げ出そうか、いつ逃げ出そうかとそればかりを考えていたけれど、自分の気持ちに向き合って素直になったことでこうも違うのかと、自分でも驚いている。 「あの……部長……」 「ん? なんだ?」 「あの……お腹……空きませんか?」 「え?」 私のやりたいことリストに、誰かと食事をすることを一番目に書いていた。仕事終わりでこれから何処に行くのかも聞いてなかったけれど、他人と食事が出来ないことを部長は知っている。だからこのまま私の自宅へ送ってくれるのだろうと思う。 出張から戻ってすぐに会社に来て、私を送るなんてあんまりだ。 「あの……良かったら……お疲れでしょうけれど、一緒に食事でもどうでしょうか……」 ここまで言って私はふうっと息を吐く。人を誘うだけでも勇気がいるのに、食事まで誘ったなんて言ったら、綾香は驚くだろう。 「ちょっと待って」 部長は驚いたんだと思う。車を路肩に止めて私の方に身体を向けた。 「ごめん……思ったことを言ってもいいだろうか」 「はい、どうぞ言ってください」 「食事は、その、出来るのか……?」 部長が心配するのも無理はない。なんど部長の前で過呼吸になり、食事をしないとかたくなに断ったことか。 「大丈夫です。部長となら」 「……」 「だめ……ですか?」 黙って何も言わない部長に、今度は私が、不安になる。でもここで諦めたら前に進めない。 「ダメな訳がないだろう? 何がいいかな? テイクアウトして車の中でも……」 「ラーメン! あ……すみません、大きな声を出してしまって。あの、ラーメンが食べたいんですけど」 部長はあっけにとられているような顔をして、じっと私をみた。食事が出来ないと言った私が、少々ハードルの高いラーメンを食べたいと言ったのだから、びっくりしても仕方がない。 いや、初デートなのだから、せめてファミレスとでも言った方が良かったのだろうか。 「いいよ、ラーメンが食べたかったんだ。アメリカのラーメンは卒倒するほど高くて、滅多に食べられなかったんだよね、いいねラーメン」 「ありがとうございます。美味しいところに連れて行ってください」 「分かった。任せて」 部長が車を走らせたのは、ラーメン店が建ち並ぶ激戦区の環状線だった。いろいろなタイプのラーメン店があり、特に人気店の前は、渋滞になるのだそうだ。 「沢山ありますね」 「入れ替わりも激しいけど、結局いつも入る店に行くんだよね」 そう言って車が止まったのは、味噌ラーメンの店で、店の看板には、北海道味噌ラーメンと書いてあった。
/131ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2195人が本棚に入れています
本棚に追加