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◇  真珠の女が何の言葉もかけず店を出てから数分後。本人から聞いた覚えのない連絡先から、ふと一枚の写真と住所が送られてきた。「私が出た十五分後ぐらいに抜けてきてください」なんて無茶ぶりな一言を真下に添えて。 「おお、本当に来てくれたんですね」  送られてきた通りの場所に足を踏み入れた先で、女は悠々と白いベッドの上に腰かけていた。 「来てくれなかったらどうしようかと思ってました。まあ、先輩だったら絶対来てくれると信じてましたけど」 「たまたま気が向いただけだ。ていうか──」  言いながら、面接というにはあまりにも不釣り合いな空間を見渡す。 「……何でわざわざホテルにしたんだよ」 「この近辺で一番相応しい場所だったから──ただそれだけです」  平然と答えて、彼女はプラスチックのコップに口を付ける。大して広くない部屋に二台のベッドが設置されたビジネスホテルの一室。その枕元のチェストには、白ワインの瓶が当然の如く置かれていた。  呆れるあまり、俺は眉間を抑え溜息をつく。 「あのなぁ、俺は遊びに来たんじゃないんだ。ふざけるなら帰るぞ?」 「まぁまぁ、そんな冷たいことを仰らずに。恋の面接は長期戦です。一旦ワイン飲んで落ち着きましょう? 先輩の分もありますから」  そう促しながら、女はもう片方のベッドを指差した。恐らく言う通りにしない限り先に進まない。面倒に思いながらも、重たい足を引きずって歩み寄る。 「そしたら、ぼちぼち始めましょうか。勿論、飲みながらで構いませんよ」  透明な液体をコップに注ぎながら、彼女の言葉に耳を傾けた。ツンと刺すような匂いが鼻腔に入り込み、危うく咽せそうになる。 「まず志望動機……ですかね。先輩って何で恋愛を始めようと思ったんですか」 「何で……か」  顎に手を当てて、想いの糸を手繰る。 「強いて言うなら、焦り、なのかもしれない。昔の知人や会社の同期が悉く異性と交際を始めて、早い奴は結婚して──いずれ自分だけ独り身のまま死んでいくと考えたら、居ても立っても居られなくなったというか」 「ああ、なるほど。確かに先輩らしいこれ以上ない動機なのかもしれませんね」  言いながら、彼女は二本指を立てる。 「では続いて二つ目の質問です。先輩の初恋っていつでしたか?」 「初恋? んなこと覚えてねぇよ」 「いやいや。初恋の瞬間って大体の人が覚えてますよ? それぐらいその人にとって衝撃的な瞬間なわけですし。たとえ幼少期の出来事だとしても、ちゃんとやんわりとですが記憶に残るものですって」 「……そんなこと言われてもな」  首の横を触りながら、俺は目線を下げる。 「しょうがねぇだろ。そこまで劇的な恋愛っていうのを、俺は今まで経験してこなかったんだ。そういう相手にも、シチュエーションにも恵まれなかった。だから必死こいて合コンとかに参加してるんだろうが」 「ふうん……やっぱり、今の先輩って理屈っぽくてつまらないですね」  真珠の女は呆れたように嘆息し、コップの残りを一気に飲み干した。かと思うと、瓶の横にそれを置き、前のめりになって俺の目をじっと凝視する。急な挙動にぎょっとし、思わず身を引いた。 「な、何だよいきなり」 「先輩って恋愛のこと、義務的なものだと思ってるでしょ? いわゆる人類という種の繁栄に付随してくるイベントだと考えるタイプ。それじゃあ、寄ってくるはずの女子も寄ってきませんって」 「喧しいな。じゃあ何だ、こっちが熱狂的になって相手を追い回せって言うのか? それでお互いを思い合ってハッピーエンドってか? そんなの感情論に過ぎないじゃねぇか」 「先輩、恋愛っていうのは基本的に感情論で回るものなんですよ」  すらりとした両膝の上に、女はあざとく頬杖をつく。 「就活だってそうでしょう? 自分の志望動機を熱烈にアピールして、少しでも企業に靡いてもらえるよう尽力する。その点においては恋愛とおんなじですよ。自分から確固たる想いを持ち、率先して相手に攻めに行かないと他人のままで終わりますって」 「何言ってんだ。そんなことしたら煙たがられるに決まってんだろ。就活だってそうだ。いくら志望動機が濃密でも、実力やスペックが見合ってなけりゃ企業側も将来を見積もって採用を渋る。結局相性なんだよ。相手が俺を手放すのなら、そいつとの相性は最悪だったってことだよ」 「うわ……引くほど理屈でガチガチですね。そんな卑屈で内向的な人が恋愛を成就できるわけないじゃないですか」 「ああ、何度だって言えばいいさ。どうせ今日を最後に合コンの類いをやめようかと思ってたんだ。今更考えを改めようなんて──」  不意に、言葉を遮られた。
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