例えば、の話

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例えば、の話

 それはある日のこと、地元の同級生がベビーカーを引いて、お茶をしにやって来たことを発端とする。 「んー! やっぱり奈緒子のチーズケーキは最高だわ!」  友達のミカが嬉しそうにフォークを口へと運ぶ横で、私はベビーカーに乗せられて眠る、赤ちゃんを見つめていた。凄い小さいなぁ・・指とか作り物みたいだけど、でもちゃんと爪があるし、小さな鼻からはちゃんと、すぴーすぴーと寝息が聞こえて、生きてるんだなと実感する。これがお腹の中から出てくるなんて、生命って本当に不思議だ。 「どお、子育て。順調?」  私がそう聞くと、ミカはハア…とため息をついた。 「子供は可愛いんだけどさぁ、もー、大変。旦那の帰りは遅いし、毎日この子とずっと家にいてさぁ。世間と隔絶されすぎててストレス溜まるっつーか・・。誰とも喋れないし、あとさ、コーヒーとか暖かいものが暖かいうちに飲めるのすら稀だし。やっと寝てくれたと思ったら、その間に家事とかやらなきゃいけない事いっぱいあるじゃん? それを片付けて、やっとゆっくりできるーと思ってコーヒー入れるじゃん? そうすると、さぁ飲むぞって時に、タイミングよく泣きだすわけよ。もう分かってやってんのかってほど、いつもそうなわけ。嫌んなるよホント。ラーメンとか絶対無理だから」 「そうなんだ・・大変そうだね。寝れないってよく聞くもんね」 「今日は近く通ったときタイミングよく寝てくれたから、もう迷わずここ入ったよね。ああ、ケーキとコーヒー、幸せ・・。なぁんか働きたくなくて結婚したけど、主婦ってのも思ってたより大変だよね。今となっては奈緒子が羨ましいもん。やり甲斐あって楽しそう」 「まぁ、私は好きでやってるけどさ、でも大変だよ。結構力仕事だし、休めもしないしさ」 「ま、そうだよね。無いものねだりってのは分かってんだけどさ。そういえば奈緒子、そっち方面はどうなの? 彼氏とか出来た?」 「う・・いや。相変わらず、枯れまくってるよ・・出会いも休みも無いし」 「えー? 旦那の職場の人、誰か紹介しよっか?」 「いやぁ・・ちょっと自信ないしわざわざ紹介してもらうのも悪いしなぁ。仕事もあるし・・」 「また奈緒子はそんな事言って! めんどくさいのは分かるけど、動かないと一生彼氏できないよ?」 「ご、ごめん。どうも初対面の男の人と話すの、苦手で・・」  やっぱりこの年で彼氏もいないとかダメなことなんだろうなぁ・・。分かってるけどどうにも足が重い。正直もう一人の生活に慣れきっちゃって、このままでもいっかなぁ〜なんて思うのって、枯れてる証拠なんだろうか・・。  そこまで話したときだった。時刻は16時前。御影君がやって来たのだ。 「お疲れ様です、奈緒子さん。・・お友達ですか?」 「御影君、お疲れ様! そう、地元の同級生なの」 「あ・・こ、こんにちは」  ミカは、ぽやぁっとした顔で御影君の顔を見つめながら、そう挨拶をした。そういえばミカは昔から、アイドルグループ好きなんだよな。御影君かっこいいもんね。 「はじめまして。アルバイトの御影晴人です。奈緒子さん、仕込みは何をやればいいですか? 俺、出来るところまで進めておきますけど」 「え? あ、ありがとう。じゃあ・・カツレツに衣、まぶしておいてくれるかな。あとは、サラダ用のキャベツもちょっと足りなくて」 「分かりました。どうぞごゆっくり」  彼は颯爽とエプロンをつけながら、ミカへ爽やかすぎる笑顔でそう一声かけ、キッチンへと入って行った。私とミカがもう少しお喋りをしていられるように、私の仕事を代わり、しかもミカへの配慮の一言。高校生にしてはスマートすぎる対応とイケメンスマイルに、ミカが黙っているわけがない。 「ちょ、ちょっと奈緒子! 彼、超良くない? あんなカワイイ子がバイトしてるなんて聞いてないし!」 「そ、そうだね。だけど落ち着いて、高校生だから、あくまで遠巻きに眺めて愛でるだけにしてね・・。でも癒されはするよね」 「いいなぁ羨ましい。しかも『奈緒子さん』て! あたしもあんな年下イケメンに、ミカさんって呼ばれてみたいなぁ・・」  ミカはその後も目の保養とばかりに、キッチンで作業する御影君の姿を、ぽやんとしながら眺めていた。子供を置いてアイドルのコンサートなんて行けないだろうし、きっと彼女のストレス解消に貢献したのだろう。  だけど、そうなんだよなぁ。御影君て何故か、私のこと『奈緒子さん』て呼ぶんだよね。直させるほどの事でもないし、まぁいいかって思ってたけど、私の趣味でそう呼ばせてると思われたら、なんだか嫌だなぁ・・。そんなこと思うのって自意識過剰なんだろうか。 「あのさ、御影君・・。御影君て、その・・奈緒子さんって呼ぶよね。別に普通に『佐藤さん』で大丈夫だよ。あとは、『店長』とか」 「それって・・強制ですか?」 「え? いや、強制ってわけじゃないんだけども、普通は、というか、一般的にはというか」 「強制じゃないなら、これからも『奈緒子さん』て呼ばせて頂きます。実は同じクラスの同級生に、佐藤さんという女の子がいるんです」 「あ、なるほど。それで紛らわしいのか。佐藤っていっぱいいるしね」   「はい。例えばの話ですが────俺が学校で友達に『佐藤さんが好きだ』って話したりして、同級生の佐藤さんのことだと勘違いされたりしたら、非常に困りますし」  ────え? 「・・・・え?・・・・」  それは・・どういう・・?  固まってしまった私の目の前で、彼はいつもの通り落ち着き払って私を見下ろしていた。そしてやはり、あの大人びた笑顔で、クスリと笑うのだ。 「いや。例えば、の話しです」 「ん? ああ、例えばか。なんだびっくりしちゃったよ。あはは・・」  ────例えが変だよ、御影君!?  
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