御影君の願い事

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御影君の願い事

 その日、キッチンひだまりの入り口の前には笹の葉が飾られていた。先日、常連の田村さんが、家の敷地に生えているからと、わざわざ持って来てくれたのだ。そう、今日は七月七日────七夕なのである。お客さんに書いて貰えるように傍らに小さなテーブルを出し、短冊とペンを置いておくと、気づいたときには笹の葉には、願いの書かれたいくつかの短冊が括り付けられて、風にその身をはらはらと揺らしていた。蒸し蒸しとむせるような暑さが続くこの梅雨の時期、少しでも涼しくなって貰いたいと店内に吊り下げた風鈴の音も、風流だねぇと常連さん達は褒めてくれる。  今日の日替わりは、「冷しゃぶレモン風味」。さっと火を通した豚肉とサラダを、手作りのレモン塩麹を使ったドレッシングで、サッパリと頂ける。付け合わせはご飯が進むよう辛めに味をつけた、茄子と挽肉の味噌炒めだ。 「どうかな、今日のメニュー。新作なんだけど」  私の質問に、御影君はこう答えた。 「はい、とても美味しいです。定番メニューはカツレツやビーフシチューとか、洋食屋ならではのものが多いですけど、日替わりは和食テイストというか、野菜多めのものが多いですよね。常連さんの健康を気遣う奈緒子さんの優しさを感じます」  御影君て・・  何だろう。こういう事を恥ずかしげもなくサラッと口にするっていうか、何だか心の中をくすぐられている様で、むずむずしてしまう。嬉しいけどなんか照れる。どんな顔していいか分かんないよ。 「あ、ありがとう・・」  下を向いてそう言った私を見て、彼はクスリと笑った。多分少し顔が赤くなってるの、バレてるんだろうな。 「そういえば奈緒子さんは、短冊に願い事書いたんですか?」 「え? ああ・・書いたよ」  今の私が天に一つ願うならば────それはこれしか無い。 「原材料費がこれ以上あがらないようにって」 「切実ですね」 「だってここ数年で光熱費も材料費もどんどん上がってるんだよ? なるべく安く提供できるよう安い材料を探してなんとかやってるけど、これ以上はキツいよぉ・・」  仕事自体のストレスは無いけど、お金のやりくりには常にヒヤヒヤさせられる。自営業ってそういうもんだ。 「御影君は? 何か願ったの?」 「俺は・・こう書きました。────好きな人に振り向いて欲しいって」  御影君て・・ 「ロマンチストだよね・・」 「そうですか? 変ですかね」 「いや、変じゃないよ全然! 素敵って意味!」  慌てて弁明すると、御影君は「ほんとかな」と言って、ちょっと意地悪そうに笑った。そしてこんな事を言うのだ。 「でも好きな人の名前を誰かに見られるのは恥ずかしいので・・その部分は折って隠しておきました。開かれたら、バレてしまいますけどね」  ────その日はそれからシトシトと小雨が降り続き、客足はあまり伸びないまま八時を迎え、御影君は帰っていった。閉店の九時を迎える頃には、店内に人の影は無くなっていた。七夕の日って何故か雨が多い気がするけど、織姫と彦星が再び出会う恋物語は、そんなに甘くはないということなのだろうか。現実と同じく・・  お店のシャッターを閉める際、ふと横にしなだれる笹の葉に視線をやると、そこに私は、奇妙に背の短い短冊を見つけてしまった。よく見ると、短冊の一部が畳むように折り込まれ、軽く糊で留めてある。 "好きな人の名前は折って隠しておきました"  御影君の言葉が頭を過った。  御影君は彼女いないって言ってたけど・・やっぱり好きな子はいるんだな・・  同じ学校の子だろうか。あんなに優しくて大人っぽくて格好よくて・・きっとモテるんだろうな────。  ふと短冊に手を伸ばした自分に気がついて、私は慌ててその手を引っ込めた。 (な、なにやってんの私。気にはなるけど、見たって学校の同級生の名前とか、誰だか分かるわけないし。まさか私の名前が書かれてるなんて事は、あるわけがないしっ・・)  自分で言って────恥ずかしさに赤くなってしまった。何を訳のわからない事を呟いてんだ私。もしかして、心の底でちょっと期待してたのか? 「ないない! 御影君が優しくしてくれるのは、単にそういう性格ってだけだから! おばさんが何を、十も下の高校生を意識してるんだか。さっさと帰って寝よ!」    次の日、天気はすこぶる良かった。不運過ぎる乙姫様には少し親近感が沸き、来年こそは会えるといいですね、と天にせめてもの祈りを捧げた。役目を終えた笹の葉は、御影君にお願いして、ゴミに出せるよう折りたたみ鋸で切って、小さくまとめてもらった。  その作業中、糊で留められたまま開かれていない短冊を見て・・御影君がこう嘆いていた事など、私には知るよしもない。 「見てもらえないかぁ・・。残念」
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