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バイトの御影君
さいたま市内のとある街の商店街に、一軒の洋食屋がある。「キッチンひだまり」・・そこが私、佐藤奈緒子の城だ。経営者であった祖母が老齢のため引退するにあたり、そこを受け継いだ。お陰さまで、祖母の代から引き続き通ってくれている常連さんも多いし、地元なので周囲も協力的だ。
11時30分に開店するやいなや、一日で最も混雑するランチタイムの忙しなさがやってくる。なんとかそれをやり過ごし、ほっとするのも束の間。片付けを終えた頃には、15時のおやつ・・いわゆるカフェタイムをむかえ、スイーツ目当ての女性客がちらほらとドアをくぐり始める。その中でディナータイムの仕込みをし、日が暮れて、そうやってあっという間に一日は終わっていく。
「すいませーん、注文お願いしまーす」
女性客二人組がそう声を上げると、アルバイトの御影君が伝票を手に注文を受けに行く。そして慣れた手つきでコーヒーマシンを操り、冷蔵庫からベイクドチーズケーキを出して皿に乗せ、美しく生クリームを飾ると、お客様のテーブルへと危なげなくそれを運んでいく。
御影晴人君は近所に住む高校二年生。高校生とは思えぬ落ち着きぶりで、ホールの対応を完璧にこなした上に、手の空いたときは私のサポートも完璧なスーパーバイト君だ。土日だけでなく、平日のカフェタイムから夕食の混雑時間帯まで働いてもらっている。全国的にも偏差値の高いことで有名な、市立浦和高校へ通っていて、きっと頭がいいんだろうなぁ。しかも顔もイケメンで、心なしか女性のお客さんが増えた気がするし。
「こんなに毎日のようにバイトしてもらって大丈夫なのかなぁ。私は助かるけど。御影君に来てもらえると夕食時の仕込みが楽なんだよねぇ」
近くの桜木精肉店さんで卸問屋さんから一緒に買ってもらっている牛塊肉と、玉ねぎセロリなどの香味野菜を大鍋へと移す。これを弱火でじっくりコトコト煮て数時間、一度濾してから再び牛ひき肉と香味野菜と共に、更にじっくり火を入れる。ひき肉と共に集まったアクを丁寧にすくい出来上がった美しい黄金色のスープは、シンプルながら底の深い味わいがある。プラス150円で追加できるこのコンソメスープは、お客様の7割が注文する人気メニューだ。私が大きな塊肉を手に大鍋へと移す傍らで、御影君は年の割に礼儀に富んだ、殊勝な回答を返した。
「大丈夫ですよ。俺が来たくて来てるみたいなものですから。奈緒子さんにそう言って頂けて嬉しいです」
「でも、遊ぶ暇とか無いんじゃない? あ、御影君、彼女とかいるなら連れてきてもいいよ? ケーキご馳走してあげる」
「彼女を紹介する・・て事ですか?」
「うん、そう」
「それはあり得ないですね。────奈緒子さんには」
その言葉に私はハッとする。やばい。たかがバイト先のおばちゃんが、プライベートに踏み込み過ぎたか・・。若い子にはそういうの嫌がられるって言うもんね。
「あ・・はは。そっか、ごめんね・・」
苦笑いで頭を掻くと、背の高い御影君は穏やかな微笑みで、その私の顔を覗きこんだ。
「意味、分かりますか?」
────意味?
「え・・あ、うん。ごめんね、プライベートなこと聞いちゃって。今後気をつけるよ」
「いや、それはむしろもっと踏み込んでもらってもいいんですが」
「え?」
じゃ、じゃあどういう事だろう・・?
御影君は相変わらず、その整った顔に優しい微笑を浮かべて、私の方をじっと見つめていた。
怒っているようには見えないけど、でもなんだろう、この意味深な視線は・・。大人なんだから言わなくても、ちゃんと察しろよって事なのか・・?
「あ、えと、なんかごめんねっ。察しが悪くて」
「いいえ。俺もまだ学生の身分ですし、焦ってませんので」
「焦り?」
どういう事だろう・・? 益々怪訝に表情を曇らせた私を見て、彼はクスッと笑った。
「それに・・そうやって戸惑ってる奈緒子さんの顔、結構好きなんで」
へ────?
な、なるほど・・? もしかしてわけ分かんない事言って私が目を白黒させるのを見て、面白がってるってことなのか? でも御影君・・そのイケメンで『好き』とか、そういう事あんまり言っちゃいけないよ・・?
「御影君。もしかして私の事、揶揄ってるね?」
若干頬を熱くして、それを隠すようにちょっとムっとして見せた私。それを見て彼は、やはりあの大人びた笑顔で、クスリと笑うのだ。
「そんな事ありませんよ。俺はいつでも、本気ですから」
「また笑って! 大人をあんまり揶揄っちゃいけないよ?」
「ごめんなさい、奈緒子さん」
そして彼は私から視線を外して向こうを向き、何かをぼそっと呟いた。
「可愛いので、つい」
「何か言った?」
「いえ、何でも。怒らせてすみません」
────御影君は良い子だけど・・ちょっと変わった男の子です・・。
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