月見そば

1/13
16人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

月見そば

 よし、今日こそは死のう。  今年で齢、二十二になる井口(いぐち)は、通勤ラッシュのホームで、拳を強く握った。  食品会社の一人息子として生まれ、なに不自由ない幼少期を過ごしたあと、小、中、高は私立で学生生活を送り、名門大学に合格した。しかし、順風満帆な人生は就活を期に狂い始めたのだった。  大手コンサルタント会社、外資金融、広告代理店、IT系ベンチャー企業。就職氷河期と言われるご時世での、新卒採用試験はキツかった。そんな中でも同じ学部のメンバーは皆、有名企業に内定を決めていたから、当たり前に内定をもらえるものだと思っていた。けれど、第一希望のコンサルタント会社は惨敗。その後も、三十を越える企業にエントリーシートを送ったが、通過したのは十社。一次面接に漕ぎ着けても二次に呼ばれることはなかった。だからといって就職浪人生になるわけにもいかず、父親に頭を下げて入社したのが『イグチパン』という実家の会社である。  当然、良いポストが用意される、なんてことはなく、配属されたのは自社工場の製造だった。 「社長の息子だからって、優遇されると思うなよ」  井口の教育担当である小清水(こしみず)は、配属初日にそう言った。彼は勤めて三十年のベテラン社員らしい。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!