月見そば

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 心のしこりを潰して、膿を搾り出すように言葉たちが次々と流れる。見ず知らずの相手に話すなんてどうかしていると、頭では分かっているのに止まらなかった。涙がぽろぽろと落ち、どんぶりのつゆに波紋を描く。井口が一気に話し終えると、中年男性が目を細めて言った。 「実はわたしも、食品工場でライン作業をしているんだ。青い看板のコンビニ知ってるかな? あそこのお弁当に梅干しを乗せる仕事だよ。単純で地味に思えるけど、自分が梅干しを乗せたお弁当を見ると誇らしい気持ちになる。ああ、わたしの仕事もちゃんと誰かに届いているんだなって」  差し出された紙ナプキンを受け取って、井口は鼻をかんだ。その派手な音の後ろで中年男性が続ける。 「あんぱんには、二十五粒の胡麻がかかっていた方が風味が出るし、白米には梅干しが乗っていた方が華が出る。そういう細やかな仕事が、社会を豊かにしているのさ」 「……表舞台に立てなくても、誇りを持てるものなんですか?」 「だって自分の選んだ仕事だからね」  小さく笑って蕎麦を頬張る中年男性を見て、ずるりと鼻を啜り、井口はどんぶりに浮かぶ(つき)を見つめる。最後に食べようと思っていたそれを箸で割って、残りの蕎麦と一緒にかきこんだ。 「まあ、わたしもこう見えて、正義のヒーローに憧れる節があるので、何かになりたい気持ちはわかる。そう、よくわかるよ。だから今朝もつい身体が動いてしまって」  そこまで言うと、中年男性は何かを思い出したかのように、つるりとした後頭部をさすった。 「あれ? 帽子をどこかに落としてしまったみたいだ」  
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