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笑えた理由
泣き疲れたのか、少女はそのまま眠ってしまった。
頬についた血を拭ってやろうとハンカチを取り出そうとした雄士は、そんなものはどこにもあるはずがないと気がつき思わず苦笑する。
何しろいまだにボクサーパンツ姿のままなのだ。
(ありがとう、か……)
人殺しに感謝をする少女がいるのは、この国の歪んだ正義のせいだろうか? それとも正義とは、初めから歪んでいるものなのか……。
すぐに答えは出そうになかったが、雄士は不思議と穏やかな気分でいた。
たとえ歪んでいたとしても、彼女の正義は間違っていなかった。兄を傷つけるものを決して許せなかったからこそ、人の頭蓋を踏み潰す怪物が、神にさえ見えたのだ……。
ふと背後から聞こえた呻き声に、雄士は振り返った。
ベッドに横になったまま、銀狼がじっとこちらを睨みつけている。
「ユナに何しやがったてめぇ?」
「……ユナちゃんか。可愛い名前だな」
「あァ⁉︎」
「心配するな。眠っているだけだ」
兄妹の絆の深さに感銘を受け、雄士は自然と穏やかに言ったが、銀狼はまったく信用していない様子でなおも睨みつけてくる。
その理由にふと思い当たった雄士は、自分を指さして言った。
「気づいてないみたいだが、俺はGODだ」
「とっくに気づいてるっつーの! さっさとユナから離れろ!」
今にも飛びかかってきそうな銀狼に対し雄士は仕方なく身構えたが、威嚇するように唸るだけで、銀狼は何故かベッドから降りようとしない。
まるで手負いの獣のようなその様子に首を傾げる雄士に、銀狼は悔しげに言った。
「ちくしょう……体が動きゃあ今すぐぶっ飛ばしてやんのに」
「ははっ……そういうことか」
声をたてて笑う雄士を見て、銀狼は「ぶっ殺すぞてめぇ!」と喚きたてる。
その様子が妹とよく似ていたためにさらに笑いが止まらなくなった雄士は、ふとこんなにも笑えている自分が不思議に思えた。
美羽がいなくなって以来腹の底から笑えなくなったのは、楽しいことが一つもなかったせいだと思っていた。
けれど思い返してみれば、過去の自分はとくべつ楽しいことなどなくても笑えていたのだ。
恋人や家族のように、自分を偽る必要のない相手の前では……。
「お前が嫌じゃなければ手を貸す」
「あ……?」
「ユナちゃんの無事を確かめたいんだろ?」
背に腹はかえられぬ様子で、銀狼は雄士の申し出を受け入れた。
銀狼をベッドから起こして支えながら立たせてやると、雄士は彼に肩を貸してユナの元まで導く。
「マジで寝てるだけじゃねぇか」
「そう言っただろ」
「じゃあこの血は何だよ?」
「すまん。抱えて運んだ時についた」
舌打ちをした銀狼は、自分のボクサーパンツの裾を引き裂いてユナの頬を拭いはじめた。
「その手があったか」と言いながら自分のボクサーパンツに視線を落とした雄士は、真っ赤に染まった布地を見て「いや、なかった」と言い直す。
「はっ……」
急に肩を揺らして笑いだした銀狼に驚き、雄士は傷だらけのその背中を呆然と見つめた。
「なんで笑ってるんだ?」
「てめぇが一人でボケかましてっからだろ」
ユナの顔を綺麗に拭った銀狼は、もう一度「はっ」と笑った。
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