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「五年前、お兄の両親は幹部の奴らに殺された。それからあたしはお兄にとっての人質で、お兄はあたしにとっての人質だった……」
時折ぐっと唇を噛みながら、少女は独り言のように語る。
「あたしを守る為なら何でもするってわかってたから、あいつらはお兄をさんざん汚いことに利用してきた。あたしはそんなお兄の姿を、ずっと見せられ続けてきた……『お前も共犯だ』って脅かすみたいに」
幼い少女があれほど凄惨な場面を見ても正気を保っていた理由を知り、雄士はやるせなくなった。
当たり前に生きてきたこの世界にこれほど残酷な一面があったことを、今この瞬間まで知りもしなかったのだ。彼女の言う通り、「大人」である自分が……。
「バカだよね、あいつら。そんなことしなくても、あたしはお兄を置いて逃げたりしないのに……」
今にも溢れそうな涙を必死で堪えている少女を見かね、雄士は「少し休もう」と声をかけたが、彼女は応じなかった。
「ちゃんと聞けって言ってるでしょ。あんたのために話してるんだから」
「俺のため? どういう意味だ?」
雄士の問いには答えず、少女は続ける。
「あいつらを倒して逃げられるって思うでしょ? お兄はあんなに強いんだから。でも無理なんだ……あいつらはいつもあたしを側に置いて、お兄が近づこうとしたら頭に銃を押しつけるから……」
声を震わせながらも、少女は決して言葉を途切れさせない。
まるでこの告白が、絶対に果たさなければならない使命であるかのように。
「想像できる? あたしがどれだけあいつらを殺してやりたかったか」
ふと少女の声色が変わり、雄士は思わず息を止めた。
凄まじい憎しみの炎を宿したその瞳は、とても幼い子供のものとは思えない。
「あんなにボロボロになるまで利用しておいて……あいつら今日の試合中になんて言ったと思う?」
もはや見ていられず、雄士は少女の瞳から視線をそらした。
息づかいから、彼女がついに泣き出したのがわかる。
「あんたに倒されたのを見て、『もう廃棄だな』って……言っ……」
堪らなくなり、雄士は少女を抱きしめた。
胸の中で嗚咽を漏らしながら、少女はなおも続ける。
「……ゼッタイ殺してやるって……全員ブッ殺してやるって思ったのに……あたしじゃなんにもできなくてっ……」
「もういい。よせ」
「いいから聞け!」
鬼気迫る叫びに弾かれたように、雄士はぱっと少女から離れた。
雄士の瞳をまっすぐに見据え、少女は掠れた声で言う。
「あたしはお腹を蹴られて気絶してた……起きたらあの状態。……神様に見えたよ、あなたが」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、少女は満面の笑みを浮かべた。
それがあまりにも無邪気で、あまりにも年相応の子供らしかったために、不意をつかれた雄士には涙を堪える暇もなかった。
「ずっと震えが止まんないのは、あいつらが死んで死ぬほど嬉しいから。だから……」
少女はすっと息を吸い込み、雄士の頬をピシャリと叩いて叫んだ。
「あんたがそんな死人みたいな顔してんな! あたしの神様なんだから!」
「……っ……」
言葉にならず、雄士は茫然と少女を見つめる。
頬の痛みともに、一点の曇りもないその瞳から流れ込んでくる。残酷でありながらどこまでも尊い、彼女にとっての正義が。
「……ありがとっ……お兄を助けてくれて……」
絞り出すように言った直後、少女は声をあげて泣きはじめた。
それはどんな苦境に耐えてきた大人でもそうそう流せないであろう、雄士自身も流したことのない、まごうことなき歓喜の涙だった。
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