遠きに在るものでなく、直ぐ其処の日常に 1/3

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「水上虎鉄さん……か」  掃除を済ませた後、二人はもう少し話がしたいと、翡翠を先に部屋返した。リビングを出るとき、先にシャワーを使いに行くという虎鉄を送り出しながら、一青がグラスを用意していたから、おそらくは飲み直すつもりだろう。この国の成人は18歳で、成人すれば飲酒は解禁だ。高校時代の先輩後輩だと言っていた二人には積もる話もあるのだろう。  水上虎鉄という人物は、ほぼ見た目通りの人物だった。真面目で理知的な理論派。多少神経質で合理主義。必要な言葉を惜しむことはないけれど、必要なければ一日一言もしゃべらないのでは。と、思うほど寡黙だ。  和臣に次から次へと酒を勧められても平然とした顔でグラスを空けていた。表情も全く変わらない。けれど、翡翠のグラス(ただのお茶)が空になっているとすぐに気付いてくれるような気遣いも持っている。そんな人物だった。  彼は一青の高校時代の部活の先輩で、二人はよく知った仲だったようだ。一青の砕けた笑顔や態度に、心を許すような人物が護衛についてくれることは素直に安心できたけれど、当時の話を懐かしそうに語る二人が羨ましい。 「俺はまだ……何にも知らない」  まだ、一青と出会ってから10日と経っていない。だから、翡翠はまだ一青のことを何でも知っているとはいえない。たくさん話しをしたし、一番大切な一青の気持ちは何度も何度も伝えてくれたけれど、もっと知りたいと思う。  和臣や大泉医師と話している一青には感じなかった思いが、虎鉄と話す一青を見ていると勝手に胸に湧き上がって来て、翡翠は戸惑っていた。 「なんだよ。これ」  理由はわかっている。  これを何というか翡翠は知っていた。 「俺。鬱陶しい」  知っていたから、ゆっくり休んで。と、先に送り出されたときに素直に従った。我儘を言って困らせたくなかったし、気遣ってくれるのを無下にしてよく思われないのも怖かった。それに、こんな思いが心の中にあるのだと気付かれたくなかった。 「あんなに優しくしてくれるのに……」  一青みたいに優しい人を翡翠は知らない。  今まで好きなった誰も翡翠にこんなにも尽くしてくれた人はいなかった。それどころか、相手を思う翡翠の心も大抵は鬱陶しいと否定された。  だから、気付かれたくない。 「……水上さんは一青の先輩だろ。何考えてんだ」  一青は、改めて確認するまでもなくモテる。それこそ、女性にも男性にも。病院で噂話をしていた名前も知らないスレイヤーの青年も。静さんと一青は呼んでいたどこから見ても恥ずかしくない美しい人も。特に静はただの憧れとかではなくて本気で一青のことを好いている。  一青はあんな美しい人が夢中になるような人物なのだ。 「そんなの見ればわかるだろ」  確かに翡翠も変わった。けれど、あのたおやかで美しい人と比べると、足りないところが多すぎる。 「……自信なんて、どうやったらもてんの?」  翡翠は自分の顔を両手で覆った。触り心地は以前と変わらない。あの鏡に映っていた自分を思い出す。醜いというより、違和感だらけで気持ちの悪い顔。無理矢理つけられた仮面。それがまだ自分の顔を覆っている気がして、背筋が寒くなる。 「ああ。もう!」  居ても立ってもいららなくなって、翡翠は身体を起こした。  一青が簡単に心変わりするなんて思っていないけれど、焦る。 「だって……何も知らない」  虎鉄は静とは違う。  虎鉄に対する一青の気持ちは大別すれば好き。だが、明らかに友情とか尊敬とかそんな感情だ。そんなことはしっかり理解している。しているし、虎鉄個人に対しても悪い印象などない。  それでも心は落ち着かない。  一青が誰かに、恋愛対象になりうる人に近づくだけで、心が乱れる。 「……嫉妬なんて」  今まで他の人には感じたことはない。たとえ何番目でも仕方ないと諦めていた。  それなのに、一青がほんの少し自分から目を離すのが、怖い。 「バカなのか、俺」  警護の問題が解決した途端、そんなことを気にしている自分が、酷く浅ましく思える。  だから、一青には絶対に知られたくない。  だから、今は顔を見にはいけない。  だから、不安で仕方ない。  こんこん。
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